1945年8月6日に広島へ、9日に長崎へと米軍が投下した原爆の実相を手記や詩歌で伝える朗読劇「祈り―1945」が、兵庫県豊岡市の豊岡市民プラザで上演された。朗読には市内外の小中高生8人も加わり、犠牲になった肉親を慕う子ども、見つからない我が子を捜す親、破壊された二つの都市の光景を読み上げた。
朗読劇は2008年から有志が始め、3日にあった公演で18回目を数えた。豊岡市や同県芦屋市などから8~87歳の31人が広報活動も担う上演実行委員会をつくり、うち24人が麦わら帽子や学生帽、開襟(かいきん)シャツにゲートル、もんぺ姿で舞台に立った。
劇は、食事や身支度といった戦時下ながら淡々とした朝の描写から始まった。しかし、日常は爆撃機B29が広島に飛来した「午前8時15分」で絶たれ、舞台は一変する。
広島で被爆した作家、原民喜(1905~51年)の体験に基づく詩「水ヲ下サイ」、長崎の場面では、被爆者救護に尽力した永井隆(1908~51)の「原子爆弾救護報告書」が読み上げられ、上演100分間に取り上げた朗読作品は71作品に上る。出演した小中高生はうち30作品を代わる代わる朗読した。多くは、生き延びた小学生が失った親やきょうだいを思いながらつづった手記だった。
出演した小学6年、岸本遥香(はるか)さん=兵庫県西宮市=は「世界で唯一、日本は戦争で原爆を落とされた。戦争はしてはいけないことを心を込めて伝えた」と話した。高校3年、吉津藍奈さん=同県香美町=は広島、長崎で突然奪われた命の重さを感じているという。「平和は当たり前のことではないと思う。戦争をひとごとと思ってもいけない。出演して感じたことを自分でどうすればいいのか、考えていきたい」
小学3年の長女が舞台に立った川見絵里香さん(37)=豊岡市=は「朗読の一人一人の声から、被爆者一人一人が抱える苦痛は計り知れないと、伝わってきた。平和であること、日々の暮らしの大切さ、それをいつも以上に深く思う時間をもらえた」と、目頭を押さえながら話した。
構成・演出の川口宏実さん(68)は「学校でタブレットを使って学習してもよく分からなかった原爆の被害が、朗読をして『何があったのか分かった』という子どももいた」と言う。出演10回を超える朗読者の中には朝鮮半島からの引き揚げ者、戦時疎開の経験者もいる。制作スタッフも含めみんな心構えは同じと、迷うことなく語った。「この朗読劇を届け続けることは、未来への責任と思っています」【浜本年弘】
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