“頼み事”の直後…目の前で仲間絶命 「原爆だめ」95歳の誓い

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瓊浦高等女学校の慰霊碑を初めて訪れた河村信子さん=長崎市の瓊浦高校で2025年7月14日、北山夏帆撮影
瓊浦高等女学校の慰霊碑を初めて訪れた河村信子さん=長崎市の瓊浦高校で2025年7月14日、北山夏帆撮影

 結婚して長く離れていた長崎に戻り、今夏、母校の慰霊碑を初めて訪れ、同級生や先生を悼んだ。「遅くなりましたけど、お参りに来ました」。80年前、学徒動員先の兵器工場で被爆した。大やけどをして苦しみ動けなくなった同僚を励まし、名前を記録して回ったことは忘れもしない。「原爆は死に方が残酷。これだけはだめだと世界で叫ばなければ」。95歳が決意を口にした。

 長崎県長与町の河村信子さん(95)は、瓊浦(けいほ)高等女学校4年だった1945年8月9日、爆心地の北約2・3キロにあった三菱重工長崎兵器製作所住吉トンネル工場にいた。軍隊に召集された成人男性に代わって軍需工場で働く「学徒報国隊」の一員として他校の学生と共に動員されていた。斜面に掘ったトンネル内には旋盤などが置かれ、魚雷の部品製造などをした。

 9日は朝礼で「広島に新型爆弾が落ちた。気を付けるように」と言われた。河村さんは、トンネルの入り口から数十メートル奥、直角方向に掘られた通路に置かれた石製の大きな製図台で、書類整理を始めた。

 同じ係の別の学校の女学生が「(外の)トイレに行く」と言って…

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