戦時下に産み落とされた私生児だった。防空壕(ごう)の闇にまぎれ、思いあまった母が鼻をつまんで窒息死させかけた、とも。「僕の命が、この世にあるのが不思議。でも危ういところから助かった幸運は、日本の戦後民主主義と重なっているという皮膚感覚、そして民主主義の影の歴史を歩んできた自負が、僕にはある」。ドキュメンタリー映画監督の原一男さん(80)が、言葉をかみしめるように言った。
終戦前の6月。山口県の炭鉱の街で生まれた。実父が誰かわからない。原さんの出生後、母は3度にわたり結婚。異父弟妹が4人。父の連れ子を含めれば、計5人。うち4人の消息は、今も途絶えたままだ。
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