若くして戦死、調べあぐねた祖父の人生 硫黄島訪問が転機に

Date: Category:社会 Views:4823 Comment:0

硫黄島で戦死した佐々木巍さんが所属していた陸軍混成第2旅団独立速射砲第8大隊の本部戦闘壕を慰霊に訪れた(左から)長女の佐々木寛子さん、寛子さんの長男・新井京さん、次男・律さん、長女・涼子さん=2023年3月1日、涼子さん提供
硫黄島で戦死した佐々木巍さんが所属していた陸軍混成第2旅団独立速射砲第8大隊の本部戦闘壕を慰霊に訪れた(左から)長女の佐々木寛子さん、寛子さんの長男・新井京さん、次男・律さん、長女・涼子さん=2023年3月1日、涼子さん提供

 硫黄島(東京都小笠原村)で戦死した佐々木巍(たかし)さんは1913年11月、東京のクリスチャンの家庭に生まれた。3歳の時に両親が渡米。2歳上の姉初子さん、2歳下の妹節子さんと共に祖母らに世話されたが、親が離れていた期間が長かったため、きょうだい3人の絆は深かった。巍さんは青山学院大神学部を卒業して牧師になる。四国にある教会に赴任し、節子さんも同行したという。

 <全6回連載の5回目です>
 続きはこちら 学者の孫、「政治的無人島化」を研究

 25歳だった38年12月に陸軍歩兵二等兵となり中国大陸へ。翌年のノモンハン事件で負傷し1カ月入院したが、42年5月に満期除隊となった。牧師に戻って横浜市の教会に赴任し、愛さんと出会う。「もう徴兵されないだろう」と43年10月に結婚。44年6月9日に長女寛子さんが誕生したが、再び徴兵されて同20日に出征した。政府の記録では45年3月17日戦死とされている。31歳だった。

 大卒ながら上等兵にとどまった。「下の者を殴りたくないから、できるだけ階級が上がらないようにしたいと言っていた」。小学校教諭となっ…

Comments

I want to comment

◎Welcome to participate in the discussion, please express your views and exchange your opinions here.