母が残した人形と後悔の涙 調査のきっかけになった大叔母の文章

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曾祖父母や祖父ら先祖について調べた新井涼子さん=京都府宇治市で2025年6月27日午後2時16分、太田裕之撮影
曾祖父母や祖父ら先祖について調べた新井涼子さん=京都府宇治市で2025年6月27日午後2時16分、太田裕之撮影

 硫黄島(東京都小笠原村)で太平洋戦争末期の1945年に戦死した佐々木巍(たかし)さん(享年31)の長女寛子さん=京都府宇治市=が3日、病気のため亡くなった。81歳だった。寛子さんが毎日新聞の取材に応じ、記事が掲載されることになったきっかけは、同居の長女・新井涼子さん(53)による先祖の調査だった。

 <全6回連載の3回目です>
 続きはこちら 米国で強制収容された曽祖父の足跡

 涼子さんは母寛子さんと同じ同志社大神学部卒。99~2007年、ドイツに留学して教会建築と美術を研究した。帰国後は病気になった寛子さんを介護。回復した寛子さんが保育環境アドバイザーとして各地に出かけるようになると、涼子さんは助手として支えた。

 先祖の調査の端緒は、巍さんの2歳下の妹節子さん(1915~2019年)が1980年に書いた「伯父のことども」という文章だ。掲載された冊子が自宅にあり、ドイツへの留学中、一時帰国した際に持っていった。巍さんと節子さんの伯父・堀市郎さん(1879~1969年)や母登久子さん(1886~1958年)の波瀾(はらん)万丈の人生が記されていて興味深かった。

 松江市出身の2人も子どもの頃からキリスト教が身近だったとみられる。節子さんの文章には2人が1920年代後半までニューヨークにいて…

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