軍人恩給もカンパに…硫黄島で夫を亡くした母 平和活動に注いだ日々

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生後18日目ごろの佐々木寛子さんを抱く母愛さんの写真。出征の1週間後に一時帰宅を許された父巍さんが撮影したとみられる=京都府宇治市で2025年4月17日午後1時35分、太田裕之撮影
生後18日目ごろの佐々木寛子さんを抱く母愛さんの写真。出征の1週間後に一時帰宅を許された父巍さんが撮影したとみられる=京都府宇治市で2025年4月17日午後1時35分、太田裕之撮影

 太平洋戦争末期の1945年、硫黄島(東京都小笠原村)で戦死した佐々木巍(たかし)さん(享年31)の妻愛さんは長女寛子さん(京都府宇治市、3日に81歳で死去)を一人で育てた。どのように戦後を生きたのか。

 <全6回連載の2回目です>
 続きはこちら 母が残した人形と後悔の涙 調査のきっかけ

 「祖母は戦争中のこと、戦死した祖父のことを語ることはほとんどなかった」

 「一方でずっと平和運動に関わっていた」

 寛子さんの長男の新井京さん(54)と長女の新井涼子さん(53)はそう話す。寛子さんも、愛さんが署名やカンパ集めに奔走していた姿をよく覚えていた。「反戦、二度と戦争をしてはいけない、との思いがすごく強い人だった」

 活動の対象は原爆、沖縄の問題、アフリカやアジアなどで困窮する子どもへの支援など多岐にわたった。巍さんの軍人恩給も「自分が使うべきじゃない」と、ほとんど…

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