父は「奇跡」の代表主将 戦争と母子家庭へ照明デザイナーが抱く思い

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竹内悌三さん(中央)が出征する際に撮影した家族写真。右隣で手を握るのが石井幹子さん=石井さん提供
竹内悌三さん(中央)が出征する際に撮影した家族写真。右隣で手を握るのが石井幹子さん=石井さん提供

 世界的な照明デザイナーとして活躍する石井幹子(もとこ)さん(86)には、本業とは別に熱心に取り組んでいることがある。サッカーを愛する母子家庭の子供たちの応援だ。

 1944年のある日。幼かった石井さんは、カメラの前で父の手を握りしめていた。父の出征の日。自宅の門前に家族で集まり、撮影した写真は今も残る。

 「父は私を本当に可愛がってくれた。怒られた思い出は一つもないです」

土煙の中で走る父

 父は竹内悌三(ていぞう)さん。石井さんが生まれる2年前、36年のベルリン・オリンピックでサッカー日本代表の主将を務めた。優勝候補のスウェーデンに3―2で逆転勝ちした試合は「ベルリンの奇跡」と呼ばれる。

 戦争で幻となった40年東京五輪の蹴球(サッカー)準備委員会の審判部次長などを務め、技術指導や審判育成で日本サッカーの発展に貢献した。

 石井さんは父に溺愛されていた。会社から帰宅すると、スーツも脱がないまま真っ先に遊んでくれた。幼稚園の帰りに勤務先を訪れた時は大喜びし、喫茶店でパフェを食べさせてくれた。職場の机には妻と娘の写真を飾り、家族愛は社内でも有名だったという。

 思い出の一つに、日曜日のグラウンドでもうもうと土煙が舞う中、大勢の人たちと一緒に泥だらけになって走る父の姿がある。

 「私はぼうぜんと『何をしているんだろう?』と思って見ていた。その時、…

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