女手一つで育ててくれた母へ、北海2年生捕手の恩返し 夏の甲子園

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中学時代のクラブチームの卒団試合後、記念写真に納まる長南凜汰郎選手(左)と母の知美さん=長南知美さん提供
中学時代のクラブチームの卒団試合後、記念写真に納まる長南凜汰郎選手(左)と母の知美さん=長南知美さん提供

 親元を離れて野球に打ち込む一人息子が、親子の夢をかなえた。夏の甲子園に出場している北海(南北海道)の長南凜汰郎選手(2年)だ。

 「ホームランを打って、スタンドに向かってガッツポーズしたい」。憧れの舞台では、女手一つで育ててくれた母へのさらなる恩返しを誓う。

 茨城県牛久市出身。母の知美さん(50)との一人親家庭で育った。

 野球を始めたのは小学2年の時。生粋の高校野球ファンの知美さんからは「甲子園に連れて行ってね」とよく冗談交じりに言われたという。

 ただ、「他のお母さんたちみたいにサポートはできなかった」と知美さん。長南選手が野球に打ち込む一方、美容サロンを営む知美さんは、休日も朝から夜まで働き詰めの生活だった。

親子は、月に1度それぞれの目標を紙に書き出す習慣を続けてきた。茨城県牛久市の実家には、今も長南凜汰郎選手が北海入学前に書き出した目標が張られている=長南知美さん提供
親子は、月に1度それぞれの目標を紙に書き出す習慣を続けてきた。茨城県牛久市の実家には、今も長南凜汰郎選手が北海入学前に書き出した目標が張られている=長南知美さん提供

 それでも長南選手は「自分のために一生懸命働いてくれていた。(一人親家庭であっても)不自由を感じたことは一切ない」と母への感謝を語る。親子の絆は、年に数回の旅行で深めてきた。

 高校の進学先に北海を選んだのは、夏の甲子園の出場回数が全国最多で、甲子園出場という夢を実現できると考えたから。知美さんからは「強豪校なら、寮生活はするものだ」と快く送り出された。

 「少し寂しかったけど、応援に応えなきゃ」と練習に打ち込んだ長南選手は1年秋から正捕手となり、下級生ながら攻守の中心としてチームを支えている。

 そんな息子を知美さんは遠くから温かく見守り続けてきた。

 寮での生活に必要な服や日用品を送る度に、段ボールに「甲子園出場」と大きく書いた紙を入れて激励。レギュラーになると毎試合、茨城から駆けつけて声援を送った。

甲子園出場を決めて抱き合う北海の捕手・長南凜汰郎選手(左)と浅水結翔投手=エスコンフィールド北海道で2025年7月20日、宮間俊樹撮影
甲子園出場を決めて抱き合う北海の捕手・長南凜汰郎選手(左)と浅水結翔投手=エスコンフィールド北海道で2025年7月20日、宮間俊樹撮影

 今春の道大会で負傷して試合を離脱した際は病院まで付き添い、「夏は大丈夫かな」と身を案じた。

 迎えた夏。南北海道大会決勝の札幌日大戦に4番・捕手として出場した長南選手は、五回に先制の2点適時打を放ち、守備でも完封した浅水結翔投手(3年)をリードして甲子園出場に貢献した。

 その夜、知美さんやチームメートらとの夕食会の席で、長南選手はポケットから取り出した南北海道大会の優勝メダルを母の首にかけ「甲子園行けるよ」と言葉をかけた。

 最愛の母に示した感謝の気持ちだった。

 北海は大会第6日(11日)の第2試合で、東海大熊本星翔との初戦に臨む。母との「約束」を果たした長南選手の視線も既に次の1勝へと向いている。

 「小学生でも、中学生でもない。高校生になった長南凜汰郎という姿を甲子園で見せたい」

南北海道大会決勝の五回裏2死満塁、先制の2点打を放つ北海の長南凜汰郎選手=エスコンフィールド北海道で2025年7月20日、宮間俊樹撮影
南北海道大会決勝の五回裏2死満塁、先制の2点打を放つ北海の長南凜汰郎選手=エスコンフィールド北海道で2025年7月20日、宮間俊樹撮影

 孝行息子の「夏」はまだ終わらない。【和田幸栞】

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