全国高校野球選手権第6日の11日に登場した初出場の未来富山は、全校生徒25人のほぼ全員が野球部という通信制高校だ。野球部関係者以外の生徒はおらず、吹奏楽部などもない中、アルプススタンドでは地元の富山県魚津市から駆けつけた応援団が声援を送った。
未来富山の校舎にあたる「学習センター」は魚津市内にあり、部員らは隣接した寮で日々の生活を送っている。
主将の松井清吾選手(3年)は「県外の選手が多いチームにもかかわらず、こうして応援してくれるのはありがたい。一人一人に感謝の気持ちを持ってプレーしたい」と意気込んでいた。
三塁側のアルプススタンドを埋めた応援団は約1000人。応援バスは計10台が早朝に魚津市を出発して甲子園にやってきた。一回に中込大選手(2年)の先制2ランが飛び出すと、スタンドは大盛り上がりとなった。
魚津市の高校といえば、1958年の夏の甲子園に出場した魚津が準々決勝まで進み、1大会の個人最多83奪三振の記録を作った板東英二投手を擁する徳島商を相手に延長十八回に及ぶ熱戦を演じた。試合は引き分け再試合となり、翌日は1―3で惜敗。魚津市は蜃気楼(しんきろう)が見えることで知られることから、その健闘ぶりは「蜃気楼旋風」と呼ばれた。
67年前に甲子園で蜃気楼旋風を目の当たりにした魚津市の室口日出輝さん(85)は、「当時は魚津から大漁旗を10本くらい持ってきて、竹ざおにさしてスタンドで振っていた記憶があります。甲子園は独特で、今も昔も野球の聖地だなという雰囲気を感じますね。勝利してほしい気持ちもありますが、とにかく全力プレーを見せてほしい。その先に第2の蜃気楼旋風が見られることを期待します」と話し、グラウンドの球児に拍手を送った。
スタンドに姿を見せた吹奏楽団は、魚津市内の魚津、新川、魚津工の吹奏楽部員と卒業生計約50人で結成された。富山大会決勝から甲子園初戦までの短い間だったが、9日に魚津市内で合同での練習を経て本番に臨んだといい、試合では計10曲を演奏予定という。
最前列でスネアドラムを担当した魚津高吹奏楽部の森田光瑠さん(2年)は、「甲子園は圧巻の雰囲気で、この中で演奏できることが夢のようです。同じ魚津の学校を後押しできるように頑張ります」と話した。【吉川雄飛、林大樹】
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