「花の散るらむ」 小笠原の深い海に散った命

Date: Category:速報 Views:1215 Comment:0

船首から見た「エビ丸」。周囲を桜吹雪のようにグルクンが舞い、去って行った=東京都小笠原村で、三村政司撮影
船首から見た「エビ丸」。周囲を桜吹雪のようにグルクンが舞い、去って行った=東京都小笠原村で、三村政司撮影

 海中なのに「花の散るらむ」という言葉が浮かびます。サクラの花びらが舞い散っているよう。「花」は、グルクンと呼ばれ小笠原や沖縄などで見られるタカサゴの群れ。水中フラッシュ光にキラキラと反射しながら、白昼夢のように泳ぎ去りました。

   ◇

 「花の……」は、古今和歌集に収められ百人一首にも選ばれている「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」という紀友則が詠んだ和歌です。よく知られていますね。歌の意味を語ることはやぼったいものの直訳すると、日の光がこんなにものどかな春の日に、どうして桜の花は落ち着いた心なく散っていってしまうのだろう、というもの。

 古語でいう花はサクラのこと。ぱっと咲き、ぱっと散る。そのいさぎよさ、散り際の美しさが、いにしえより日本人に愛されてきました。転じて、武士や軍人、ひいては日本人はかくあるべし、といった極端な考え方に結びつき、人の命を軽んじる発想を生み出しました。そのせいで第二次世界大戦では、多くの命が奪われました。私には、この「花」は大戦で散った命に見えてしまいます。

   ◇

 グルクンの後ろの大きな建造物は、大戦中、小笠原諸島の父島の沖合に沈んだ民間徴用船とみられます。父島の中心部、大村地区に面する二見湾の水深33メートル付近。透明度の高い小笠原の海なのに、この周囲は透明度が低くやや深いこともあって、薄ら暗い。

   ◇

 小笠原には、通称「父島要塞(ようさい)」と呼ばれた軍司令部がありました。地上戦はなかったものの魚雷や空爆により、100隻以上の船舶が米軍の攻撃により沈んだとされます。朽ちた船体の上部が水面上に現れ、シュノーケリングで見ることができるため観光名所化している「濵(ひん)江(こう)丸」など、二見湾付近には分かっているだけで11隻。その中で船名が唯一、分かっていないのがこの船だそうです。船内に甲殻類のエビが多いことから、通称で「エビ丸」と呼ばれています。

 船は正立した状態で沈み、船首も船体も比較的良い状態で残っています。大きな船倉には何もないものの、甲板には鉄骨のようなものがあります。

   ◇

 戦後の米占領下で沈められたという言い伝えとともに、当時の大阪鉄工所因島工場が1935年6月に建造した「彌生(やよい)丸」ではないかという説もあります。「昭和18年版日本汽船名簿其の2」によると、彌生丸は長さ50・3メートル、幅8・38メートル。2019年に、地元ダイバーらが行った海中調査でエビ丸は、全長51メートル、幅8メートルの鉄鋼船と報告されています。

 また44年8月4日の父島方面特別根拠地隊の戦闘詳報では、13時23分の無線電信に「1116二見港に敵艦上機が来襲し北海丸大破」、「1640被害北海丸を彌生丸に訂正す」とあります。翌5日「1805彌生丸大破使用に堪えず」、7日「0545彌生丸4日爆撃により直撃弾1大破、5日雷撃にて沈没」。いずれも「父特根司令官」の名による発信記録です。

   ◇

 「南の楽園」の海底に、なぜこのようなものが眠っているのか。船名が明らかになれば、船のたどった歴史がわかるかもしれない。この船が「彌生丸」なら、元は瀬戸内海で荷物を運んでいただろうに、どんな経緯で小笠原で最後を迎えることになったのか。犠牲者はどうだったのか。米軍が民間徴用貨物船をも無差別に攻撃した背景は何か。何もわかっていません。

 正確な事実を知り、そこから想像すること、過去の過ちを思い未来へ生かすことが歴史の意義です。マスメディアがこぞって「戦後80年」を見出しに報道するのもこのためです。(東京都小笠原村で撮影)【三村政司】

Comments

I want to comment

◎Welcome to participate in the discussion, please express your views and exchange your opinions here.