「非共産党員」も犠牲になった 治安維持法を廃止させた哲学者の獄死

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7月の参院選で当選確実となった候補者の名前に花付けをする参政党の神谷宗幣代表=東京都新宿区で2025年7月21日午前0時29分、内藤絵美撮影
7月の参院選で当選確実となった候補者の名前に花付けをする参政党の神谷宗幣代表=東京都新宿区で2025年7月21日午前0時29分、内藤絵美撮影

 1945年10月15日、戦前・戦中の思想弾圧に猛威を振るった治安維持法が廃止された。命じたのはマッカーサー率いる連合国軍総司令部(GHQ)。指令の背後には、直前に発覚したある人物の死があった。

 『人生論ノート』などの著作で知られる哲学者・三木清(1897~1945年)。京都大で西田幾多郎、ドイツに留学してハイデッガーに師事するなど、世界的に名高い哲学者のもとで学び、やがて独自の思想を展開したが、治安維持法違反容疑で逮捕されて東京・豊多摩刑務所の独房に勾留されると、劣悪な環境下で寄生虫感染症を患い衰弱死した。死亡日は、日本の無条件降伏からひと月半近くもたった45年9月26日。なぜ三木は敗戦後に亡くならなければならなかったのか。三木を慕う人たちからは、いまだその死を悔やむ声が聞かれる。

参政党「共産主義にとっては悪法」

 「悪法だ、悪法だっていうけど、共産主義にとっては悪法でしょうね。共産主義を取り締まるためのものですから」。7月の参院選で議席を大幅に伸ばした参政党の神谷宗幣代表が、選挙期間中に鹿児島市内の街頭演説で制定100年を迎えた治安維持法に触れた。「だって彼らは皇室を天皇制と呼び、打倒して日本の国体を変えようとしていたから」とも述べたが、同法の取り締まり対象は共産主義者に限ったものではなかった。

 三木は共産主義者でも、国体の変革を企てる人物でもなかった。人から頼られると断れない親切心があだとなり、命を落としたと言えるかもしれない。

 45年3月に三木が逮捕された理由は、…

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