聴覚のハンディがあっても夢を諦めなかった。夏の甲子園大会第8日の第3試合に出場する神村学園(鹿児島)の茶畑(ちゃばた)颯志(そうし)選手(3年)は、先天性の難聴で4歳の時に人工内耳を埋め込む手術を受けた。健聴者に比べて言葉の聞き取りなどが難しいが、聴力の代わりに培った能力を生かし、2番手捕手として奮闘する。
医師「飛行機のエンジン音さえ……」
「この子は耳が聞こえていないかもしれない」。呼びかけや物音に反応しない様子を見て、両親が茶畑選手を連れて病院を受診したのは生後8カ月の時だった。聴力検査の結果はスケールアウト(測定不能)。測定機の最大音量も聞こえていなかった。医師が言うには間近で鳴り響く飛行機のエンジン音さえ聞こえるかどうか。聴力はほぼないといえた。
「聞こえないということがどういうことか、想像もつかなかった」。母麻美さん(43)は当時の衝撃を振り返る。しかし落ち込んでいる暇はなかった。先天性難聴はその後の言語や認知能力、精神の発達に大きく影響するため、一刻も早く療育を始めなければならない。すぐに親子でろう学校に通うことになった。
耳の聞こえない子が言葉を覚えるのは容易ではない。まず、ものに名前があるということが分からない。麻美さんは手作りの絵カードを見せながら、口の動きを読み取らせる口話や手話を織り交ぜて懸命に教えた。この子はどうなるのか。親の心配をよそに、元気いっぱい汗だくになって駆け回る姿が救いだった。
茶畑選手は4歳の時、人工内耳を埋め込む手術を受けた。耳元のマイクで拾った音を電気信号に変換して、聴神経に送る装置だ。今では全国で年間約1200件の手術が行われているが、当時はその半数程度。我が子にメスを入れて思うような効果を得られなかったら……。思い悩んだ末の決断だったが、幸い聴力は大きく改善。言語の遅れはあったが、リハビリのかいもあって地元の小学校に入学できるまでになった。
小学校ではソフトボール、中学では硬式野球に打ち込んだ。ただ、人工内耳を使っても騒音下や複数人の会話を聞くのは難しい。グラウンドで監督やコーチ、チームメートの話すことが全て分かるわけではなく、相手の口の動きや表情、仕草など目に入るもの全てを見て懸命にコミュニケーションを取った。
「見る力」生かす捕手を志願
麻美さんらを驚かせたのは中学2年の頃だった。それまでは外野や一塁を守ることが多かったが、自ら捕手を志願。捕手はプレー中、ヘルメットをかぶるため耳元のマイクを塞がれていっそう聞こえなくなる。麻美さんは心配したが、茶畑選手には自信があった。捕手はチームで唯一、グラウンド全体を見渡すポジションだ。相手打者や走者、ベンチの動き、自チームの守備陣形など気を配ることは多い。培われた「見る力」を生かすにはうってつけだった。
甲子園でのプレーを夢見て進学した強豪・神村学園。最後の夏は2番手捕手としてベンチ入りを果たし、ついにそのチャンスをつかんだ。麻美さんは「あの子が甲子園なんて夢の夢だった。私たちも知らない苦労や努力があったと思う」と万感の表情。茶畑選手は「同じようなハンディがある人が夢を諦めず、前向きになれるプレーを見せたい」と意気込む。
耳元のマイクを見られるのを恥ずかしがって、髪を伸ばして隠していたのも今は昔だ。【取違剛】
Comments