
第二次世界大戦後、日本は連合国の占領に備え、数万人もの女性を動員して占領軍兵士向けの「慰安施設」を整備した。
過酷な「性接待」の実態がうかがえる客観的資料や証言記録は極めて少ない。
一橋大客員研究員の平井和子さん(70)は30年にわたり、慰安所にいた女性の足跡を追い、軍による性的搾取の実態を明らかにしてきた。
専業主婦から教師を経て、40代から本格的に女性史研究を始めた。平井さんを駆り立てたのは、「日米合作の性暴力」を封印した戦後日本、そしてそれを見逃してきた歴史学への「反省と怒り」だった。
<主な内容>
・表の歴史とは異なる歴史がある
・元日本兵を取材 慰安婦の生の実態は…
・「パンパン」登録簿を発見「震えた」
・男性研究者は反発「恥を掘り返すな」
・戦後史に居場所がない女性を歴史に刻む
この記事には前編があります。
「日本の娘を守れ」政府、占領軍に“慰安所”提供 軍の性犯罪助長か
女性史研究の「背骨」
――女性史を研究するきっかけは。
◆1981年に夫の赴任先である静岡・西伊豆に引っ越し、専業主婦になったけれど、1週間で嫌になってしまった(笑い)。
「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業はいつからあるのかと疑問が湧いて、干物屋でアルバイトをしながら女性史の本を読みあさりました。
西伊豆・土肥にある金山の坑内労働や漁業など、1次・2次産業で働く女性に生活史の聞き取りを始め、4年間で約300人から話を聞きました。
――85年に出版した「西伊豆 土肥の女たち」では、「女は損」という見方が自身の中にあったが、女性史を学ぶ中で「女に生まれて良かったと、思うようになった。より低い立場の方が物事の本質が見えるから」と書いています。
◆東伊豆・稲取の「海士(かつぎ)」さん(海女)には、「男の一人や二人養ってやるのが女のかい性だったよ」と言われ、仰天しました。
固定的なジェンダー観が近代社会の産物だということを、この「生き証人」たちから学びました。彼女たちとの出会いが私の女性史研究の背骨になっています。
日本の女性史は何をしてきたのか
――しかし、平井さんは90年代に顕在化した「従軍慰安婦問題」と出合い、自分自身も含めて日本女性史のあり方に疑問を感じるようになります。
◆女性を「銃後の守り」という形で戦争に動員したメカニズムを知りたいと考え、国防婦人会に参加された女性の聞き取りを重ねていました。
そんな中…
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