
太平洋戦争が終わる8カ月前、米軍の爆撃機B29が千葉県神代(じんだい)村(現東庄町)に墜落した。多くの搭乗員が死亡したが、生き残った機長は半世紀後に来日し、慰霊祭に参加した。地元の郷土史研究家は「平和への思いをかみしめてほしい」と、この出来事を伝える活動をしている。
元教員で郷土史を研究する野口政和さん(66)らがまとめた記録集などによると、1944年12月3日、米軍機がサイパンから中島飛行機武蔵製作所(現東京都武蔵野市)に向けて出撃。そのうち1機が帰還中に日本軍戦闘機の襲撃を受け、山林に墜落した。

パラシュートで脱出したロバート・ゴールズワージー機長(当時27歳)は、道路脇の畑に降りた後、村人らに捕らえられた。一部からは「殺せ」の声も出たが、村職員が「危害を加えてはならない」と説き伏せたという。
搭乗員12人のうち9人が死亡。生き残りはゴールズワージーさんら3人だけで、東京の捕虜収容所に送られ、終戦後に帰国した。
その後、ゴールズワージーさんは退役し、農場を経営する。晩年、旅行中に知り合った日本人女性に相談したことをきっかけに、再び日本を訪れることになった。

97年9月、東庄町で開かれた合同慰霊祭に参加し、墜落時にゴールズワージーさんを守った村職員らと再会。「両国民の友情のために体験を語りたい」と話していた。墜落現場付近の公園には「GOING IN PEACE(平和に向かって)」と書かれた平和の塔が建てられた。
それから28年が過ぎ、平和の塔は朽ちて、ペンキがはがれかけている。ゴールズワージーさんを迎えたメンバーは次々と亡くなった。
野口さんはこの出来事を後世に伝える講演を続けている。今年7月には公民館で町民ら25人を前に話した。
「戦争には、勝者も敗者もいない。悲しみが残るだけだ」。野口さんは、ゴールズワージーさんが来日した際にこう述べたことが印象に残っている。「戦争が終わっても、心の傷は残り続けることを知ってもらいたい」【近藤卓資】
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