長嶋茂雄さんの追悼試合で巨人の全選手、監督、コーチが背番号「3」をつけた。
グラウンドに散らばるたくさんの「3」を見て、思い出したのは25年前、2000年春の巨人・宮崎キャンプ取材。あの時は、たった一つの「3」をめぐって大騒ぎだった。
この年、長嶋監督は背番号「33」をFA移籍してきた江藤智選手に譲り、自らの永久欠番を復活させた。初披露の一瞬を見逃すまいと、キャンプ初日から筆者を含め大勢の報道陣が監督を徹底マーク。選手や練習の取材はそっちのけで一日中追い掛け回すが、監督はなかなかジャンパーを脱がない。
やっと「3」を見せたのはキャンプ開始12日目で、筆者は出張期間が終わり東京に帰ったあと。大歓声が起きたお披露目の瞬間をテレビのニュースで見て、じだんだを踏んだ。
第1期監督時代の「90」や「33」では、あんな騒ぎはなかった。やはり「3」は特別なのだ。野球ファンはユニホームの背中で躍る「3」を通して、長嶋さんのダイナミックなプレーを思い出し、数々の名場面や名勝負に思いをはせる。
追悼試合に立ち会った観客、選手にはユニホーム姿の長嶋さんをリアルタイムで知らない世代も多いだろう。それでも「3」を通じて長嶋さんの偉大さを知り、日本プロ野球の歴史に触れる。
セレモニーに出席した王貞治さんは「長嶋さんを思いながら盛り上げることを、これからもやってほしい」と話した。今回は巨人だけだったが、いつか12球団の全選手が「3」を付ける「長嶋茂雄デー」が実現しないだろうか。
もし実現するなら6月25日がいい。あの「天覧試合」が行われた日だ。【神保忠弘】
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