
歴史が消えた。
あの戦争と今を地続きに捉える感覚はすり切れ、国民が共有してきた物語はなくなった。近現代史が専門の歴史家で、評論家の與那覇潤さん(45)はそう言ってはばからない。
例えば7月の参院選で躍進した参政党のポスター。
「次は私たちの番だ」と大書されたメッセージの横に、徳川家康や西郷隆盛、特攻隊員たちのイラストがあしらわれている。機関紙では同じ図柄に「日本を守るために力を尽くした英雄たち」との言葉も添えてある。
江戸幕府を開いた武将と討幕運動の推進者、あるいは靖国神社にまつられる者たちとそうではない反乱の首謀者。一貫した歴史観の下では相反する立場の彼らが、あっけらかんと並ぶポスターの意味するところを、與那覇さんはこう解説する。
「過去というデータベースから『日本独自の道を行った人』や『外国と戦った人』を検索し、出力された記号がなんとなく使われているに過ぎない」
つまり、文脈がない。そこにあるのは「歴史ならざるもの」だ、と。
だが、それを単にたたくのも違う、と考える。なぜなら歴史の喪失は“特殊”な政党の“特殊”な事例ではなく、この国の前提になりつつあるとみるからだ。
ならば過去とつながる道筋はどこに?
可能性は文学にあるという。
江藤淳と加藤典洋を導き手に
與那覇さんの新著「江藤淳と加藤典洋」(文芸春秋)は、文学を通して戦後史を歩き直す試みとして書かれた。
前編の各章タイトルには、太宰治の「斜陽」(1947年)から村上龍の「限りなく透明に近いブルー」(76年)までの5作品が並ぶ。文芸評論家の江藤淳(32~99年)と加藤典洋(48~2019年)を導き手に、それらを歴史的な文脈に位置づけて読み解いていく。後編では2人の仕事に分け入りながら、その批評精神を描き出す。
本書の刊行を記念して、東京・三鷹の書店「ユニテ」で7月24日、民俗学者・畑中章宏さん(62)との対談が行われた。畑中さんは加藤の「日本の無思想」(99年)を担当した平凡社の元編集者。この対談でも「歴史の消滅」が話題の一つになった。
畑中さんは本書の中で、柴田翔の「されどわれらが日々――」(64年)や庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」(69年)といった芥川賞受賞作が、60年安保などの時代背景とともに整理されていることに触れ、「歴史という文脈の中で理解しないと、作品の本当の面白さはつかみにくい気がする」と述べた。
他方で、今の読書界ではそうした文脈は置き去りにされ「つまみ食い」的に楽しむ風潮がある、と指摘した。
與那覇さんもうなずきながら、「今バズっているから、周りと話を…
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