阪神甲子園球場のインタビュールームには、試合を終えたばかりの高校球児の率直な思いがあふれる。
力を出し尽くした充実感。負けた悔しさ。仲間や恩師への感謝――。
第107回全国高校野球選手権大会を彩った選手たちの言葉を、印象的な場面とともに振り返る。【構成・深野麟之介】
8月6日・1回戦
○沖縄尚学1―0金足農(秋田)●
金足農・吉田大輝(たいき)投手(3年)
<2018年の第100回大会で準優勝した金足農のエースだった吉田輝星(こうせい)投手(オリックス)の弟として注目された>
自分は輝星に比べて、甘やかされて生きてきた。自分勝手なところ、弱いところを見せてしまうことが多かった。仲間や指導者の方、家族が自分のために厳しい声をかけてくれた。
輝星と比べられて、苦しかった時期もあったが、「このままで終わりたくない」と思った。弟である以上、それに恥じないプレーを見せていかないといけない。
8月11日・2回戦
○日大三(西東京)3―2豊橋中央(愛知)●
豊橋中央・高橋大喜地(だいきち)投手(3年)
<ピンチで見せる元プロレスラーのアントニオ猪木さん(故人)の顔まねが話題となった>
お客さんを楽しませるプレーができたと思う。それが誇りです。小さい頃から人を楽しませるのが好きだったので、自分が楽しんでいるのを見て、楽しい野球を届けられたらと思っていました。
顔まねは気持ちが入って、出ました。普段からやっているので、気持ちが高ぶった時に自然と出てしまう。
父が猪木さんを好きで、その影響で自分も好きになりました。猪木さんの「出る前に負けることを考えるバカがどこにいるんだ」っていう言葉が好きです。
8月13日・2回戦
○京都国際6―3健大高崎(群馬)●
健大高崎・佐藤龍月(りゅうが)選手(3年)
<左肘の靱帯(じんたい)を修復する「トミー・ジョン手術」から今夏に復帰し、2回戦で登板した>
手術を決断した時には(この夏の登板を)ほぼ諦めかけていたところがある。本当に多くの方に支えられ、ここまでこられた。
2年ぐらいたってからやっと(移植した部分が)自分の腕になってくると思う。今のリハビリの段階でいろいろな経験をさせてもらい、良い勉強もできたので、それを生かして自分の力にしていきたい。
(チームメートの石垣元気投手は)1年生の時から2人で一緒に投げてきた。これからも高い舞台でまた出会うと思うので、頑張っていこうなっていう思いだった。最終的にはできれば同じ球団に入りたい。2人で日本を代表するピッチャーになりたい。
8月15日・2回戦
○西日本短大付(福岡)2―1聖隷クリストファー(静岡)●
聖隷クリストファー・高部陸投手(2年)
<今大会注目の2年生左腕。4安打1失点(自責点0)だった1回戦に続いて完投した>
静岡県内では考えられないぐらい強いスイングをしてくるチームがいっぱいあって、自分の力のなさを実感しました。
3年生には感謝していることがたくさんあって、ずっと自分を引っ張ってきてくれました。甲子園の土は持ち帰りません。自分はまだ2年生なので、もう一回ここに戻ってこられるように頑張りたいと思います。
どんな調子でもうまく試合をまとめて、点を取られないようなピッチングをしたい。チームも自分も良い雰囲気で試合を進められるようなピッチングをしていきたいと思っています。
8月16日・3回戦
○京都国際3―2尽誠学園(香川)●
京都国際・西村一毅(いっき)投手(3年)
<前回大会の優勝投手。この試合、追う展開の相手チームを応援する甲子園独特の雰囲気を体感した>
(九回に3者連続三振を奪い)球場全体が応援に合わせて拍手していて、雰囲気が完全にあっち(尽誠学園)だったので、「嫌われているな」って思いました(笑い)。
完全にアウェー(の空気)で、ヒットが出れば流れが(相手に)行ってしまうと思ったので、全員三振を取りにいきました。
去年の試合(甲子園)でも(アウェーの空気感を)経験していたので。アウェーの方が楽しいです。
8月17日・3回戦
○沖縄尚学5―3仙台育英(宮城)●
仙台育英・吉川陽大(あきひろ)投手(3年)
<エース左腕として活躍。相手に2点を勝ち越され、タイブレークの延長十一回2死三塁で迎えた打席は涙が止まらず、最後の打者になった>
負けている展開で、打力に自信のない自分を(最後の)打席に立たせてくれた(監督の)須江(航)先生への感謝と、仲間の顔が浮かんできました。
(二ゴロに打ち取られ、一塁付近でしばらく立ち上がれず)一気に控え組の仲間の顔が思い浮かんできて……。「あの時バッピ(バッティングピッチャー)してくれたのに」とか、「控えの選手が自分たちのサポートをしてくれたのに」という思いで、申し訳ない気持ちになりました。
自分がメンバー入りしてから、うまくいかないプレーがあると、ふてくされたような態度を取ってしまっていました。(仙台育英で)控えだった須江先生に「控え選手では味わえない悩みがあることは幸せなんだ」と言われ、そこから仲間のために投げようと考えるようになりました。
8月19日・準々決勝
○県岐阜商8―7横浜(神奈川)●
横浜・阿部葉太選手(3年)
<春夏連覇を目指したが、延長十一回タイブレークの末に敗れた。阿部選手は2年生の時から主将を任された>
(試合後、アルプス席にあいさつした後はしばらく動けず)本当に悔しい思いだけでした。春夏連覇を達成できなかった悔しさが一気に込み上げてきて、スタンドを見た時に、申し訳ないなというか……。本当に悔しかったです。
(甲子園の土は拾わず)負けて、偉そうなことを言うわけじゃないですけど、思い出作りに来たわけじゃなくて。甲子園に「ありがとうございました」と感謝を伝えました。
村田(浩明)監督をはじめ、恵まれたスタッフやトレーナーの方々に出会うことができて、自分の野球の価値観や野球に対する姿勢も変わりましたし、自分の人生をこの2年半で大きく変えることができたんじゃないかなと思います。
ここまで熱く、自分たちの心の中に入って指導してくださる監督さんって、この先はたぶん出会えない。
横浜・奥村頼人(らいと)選手(3年)
<五回途中から登板した。九回、延長十回タイブレークと2度にわたり「内野5人シフト」を敢行した>
織田(翔希)という自分よりもはるかに能力が優れた存在がいた(1年後に入学した)。自分はエースナンバーを背負わせてもらって、苦しい場面で投げることしかなかったが、プレッシャーと闘ってきた。
5人シフトをする意味を考えました。強い打球を打たせないために全球真っすぐで押そうと。変化球だと外野まで飛ばされると思いました。
(3点リードで迎えた延長十回裏に適時二塁打を浴び)アウトを1個ずつ取っていこうという声が、気の緩みにつながってしまったかと思う。どんな状況でもバッターと全力で勝負しないといけないのに、そこから逃げてしまった部分があった。
8月19日・準々決勝
○沖縄尚学2―1東洋大姫路(兵庫)●
東洋大姫路・阪下漣(れん)投手(3年)
<今春に右肘の靱帯損傷が発覚。保存療法を選び、今大会で復帰登板を果たした>
ここに来て再発を怖がってしまった。
この仲間じゃなかったら、僕はたぶん手術をしていました。このメンバーで甲子園に行きたいという思いが、保存療法を選べた理由でした。
(高校野球を振り返ると)正直、挫折するっていうことが少なくて。「このまま、うまいこと行くんだろうな」っていう未来予想でした。
急なけがで苦しめられて、「やっぱりけがって怖いな」と分かりました。自分にもっともっと、カツを入れたいなと思います。
8月21日・準決勝
○日大三(西東京)4―2県岐阜商●
県岐阜商・横山温大(はると)選手(3年)
<生まれつき左手の指がないハンディがありながら、力強いバッティングや守備を見せ、16年ぶりの4強進出に貢献した>
正直、自分でもここまでやれるとは思っていなかったです。周りの人のサポートがあり、ここに立たせてもらった。
(藤井潤作)監督は特に、自分を使うのはとても勇気がいることだったと思う。とても感謝しています。
自分みたいな子に、「この場に立てるんだぞ」というのを見せられた。「周りの人たちに勇気を与えられるように」という目標で甲子園に立っていた。それができたなら、良かったと思います。
どこまで行けるか分からないですが、限界まで、行けるならプロまで、頑張っていきたいです。
8月21日・準決勝
○沖縄尚学5―4山梨学院●
山梨学院・菰田陽生(はるき)選手(2年)
<投打「二刀流」の活躍と、スケールの大きさで注目された。準決勝は右肘の違和感もあり、一回を終えて降板した>
課題ばかり、足りないところばかり。(甲子園は)課題を出してもらった場所でもありますし、3年生と試合ができた良いところでもあるので、もう一度この舞台に戻ってきたいです。
(沖縄尚学のエースの末吉良丞=りょうすけ=投手とは)同級生同士の戦いで、勝ちにこだわりたかったんですけど、結果はこうなってしまって……。(末吉投手も)同じ2年生でここまで戦ってきたので、次(の決勝)も勝って、優勝してほしいです。
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