日本人およそ6万人が命を落としたシベリア抑留の開始から80年となる23日、「第23回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で営まれた。元抑留者や遺族ら約200人が参列した。
主催者代表であいさつした抑留経験者の西倉勝さん(100)は「抑留問題の残された課題の早急な解決のために国民的な議論を求めます。6万人を超える犠牲者全体の追悼は、民間ではなく、国が主体となって行うべきです」などと訴えた。
江副芳徳さん(81)の父・鷲崎芳雄さんは「行方不明」だが、亡くなったとみられる。「父はたいへんに子煩悩だったと聞いています。私たち幼子を残して、どんな思いで亡くなったのか、胸が締め付けられます。今年は戦後80年となりましたが、私の戦後はまだ終わりません」などと話した。
小嶋雄二さん(82)は父の昇蔵さんを亡くした。「戦後80年たっても、戦後処理は終わっていません。抑留の事実を、この千鳥ケ淵から日本全国に知らせたい」と話した。あいさつした遺族2人の父の遺骨は、いずれも見つかっていない。
抑留は第二次世界大戦終結後の1945年8月23日、ソ連の独裁者スターリンが秘密指令を発して始まった。旧満州(現中国東北部)などの日本人およそ60万人を自国領やモンゴルに抑留。56年12月まで最長11年に及び、極寒と飢え、重労働などで6万人が命を落としたとされる。
「集い」は2003年、抑留経験者や遺族らが始めた。10年に議員立法でシベリア特措法が成立。国に抑留の実態解明を課したが、抑留者や死者の正確な人数などは分かっていない。また、収容された遺骨は犠牲者の半分に満たない約2万2000体にとどまっている。【栗原俊雄】
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