高校野球・夏の甲子園決勝(23日)
○沖縄尚学3―1日大三(西東京)●
長かった夏、2人の2年生投手は試合後のキャッチボールを終えると笑顔で肩を寄せ合った。
沖縄尚学のエース左腕・末吉良丞(りょうすけ)と背番号「10」の右腕・新垣有絃(ゆいと)。
「また、2人で頑張っていこう」
短い言葉で健闘をたたえ合い、日本一の味を分かち合った。
決勝で先発した新垣は、140キロ台の直球と落差の大きいスライダーで強打の日大三を翻弄(ほんろう)した。
「落ち着いて投げられ、要所を抑えられた」と、八回途中1失点で試合を作った。しかし、右ふくらはぎが、つりかけていた。
代わって末吉の名前がコールされると、地鳴りのような歓声が球場に響いた。
小走りでマウンドに向かった末吉は新垣の肩をポンとたたいて、「こっから任せろ」と声を掛けた。
準決勝までの全5試合に登板し、計512球を投げて「疲労はピークだった」が、気持ちは高ぶっていた。2死一塁から日大三の代打の切り札をわずか1球で三ゴロに仕留めた。
九回は自身の悪送球で1死一、三塁のピンチを背負うも、最後は得意のスライダーで遊ゴロ併殺に打ち取り、両手で派手なガッツポーズを作って雄たけびを上げた。
入学当初から2人の思いは一緒だった。
末吉は一般受験で入り、新垣は県外の高校と迷いながらも地元を選んだ。
1999年春のセンバツ大会で沖縄勢初優勝を果たした沖縄尚学のエースであり、2008年春には母校を率いて再び頂点に立った比嘉公也監督の指導を受けたい、そして「県外の強豪を倒したい」との思いだ。
沖縄勢で初めて甲子園大会を制した偉業は地元で語り継がれてきた。26年がたった今も、比嘉監督に憧れを抱く選手は多く、レガシー(遺産)として残る。
甲子園での勝利を知る比嘉監督の経験は、脈々と投手陣に受け継がれている。
外角低めの直球の精度や、カウントが取れる2種類の変化球の習得など「勝てる投手の5カ条」として投手陣の指標となっている。
入学当時の末吉に対し、比嘉監督は「力任せに投げていたが、一球見た瞬間から、(練習次第で)150キロは出るなと思いました」と振り返る。
新垣は当初、球威がなく、比嘉監督が「行儀の良いストレートだった」と笑うほどだった。それが投球フォームの試行錯誤などが実り、ぐんぐん成長した。
足りなかった部分はライバルの長所から吸収した。末吉は制球力を、新垣は変化球のキレを磨いた。
比嘉監督も、2人の成長に目を細める。
「最近は私にあまり近寄ってきません。独り立ちしたからでしょう」と末吉について語れば、甲子園で急成長を遂げた新垣には「高校生の無限の可能性を感じた」とたたえた。
とはいえ、2人はまだ2年生――。
思いは一緒だ。「また同じ景色を見たい」。2人の物語はこれからも続く。【村上正】
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