1965年の夏の甲子園で福岡県大牟田市の県立三池工高が初出場、初優勝してから60年がたった。二塁手として優勝に貢献し、現在はみやま市議を務める瀬口健さん(77)に当時を振り返ってもらい、少子化時代の公立高の展望も尋ねた。
「優勝後、県内に戻ると小倉駅前からずっと沿道が埋まり、屋根や電柱にも上って歓迎してくれた」と振り返った。小倉から県庁を経由して大牟田まで長さ約150キロのパレード。大牟田市内では市役所まで選手が1人ずつオープンカーに乗った。「市人口を超える30万人が繰り出した。三池争議(1959、60年)で反目していた労組員も仲良くなったと聞き、優勝して良かったと思った」と話した。
チームは元プロ野球巨人監督、原辰徳さん(67)の父、原貢監督(2014年死去)による猛練習で鍛えられた。福岡大会では後にヤクルトで「王キラー」と呼ばれる安田猛投手(21年死去)を擁した小倉にも勝って甲子園に乗り込み、一気に頂点に立った。
大牟田は当時、旧三井三池炭鉱(1997年閉山)を巡る労使紛争「三池争議」や、死者458人を出した三川坑炭じん爆発事故(63年)が暗い影を落としていた。しかし、三池工の快進撃に市民は沸き返った。
瀬口さんは準々決勝の報徳学園(兵庫)戦でサヨナラ安打を放った。「当時はパフォーマンスをすると叱られていたが、本当は宙返りしたいくらいうれしかった」と昨日の事のように語り、「子供たちが炭鉱社宅の広場で野球をし、試合も重ねていた」と市内に強豪チームが育った背景を指摘する。
近年の県内の高校球界は今夏の甲子園に出場した西短大付や、2011年センバツ準優勝の九国大付など私立が優位に立つ。人口減少の中、高校無償化が進めば地方の公立高は生徒確保もより困難になる可能性がある。
瀬口さんは「みやま市唯一の高校である県立山門(やまと)高も志願者確保が課題。対策はスポーツや文化活動などで特色ある学校作りをしていくことだろう」と考えている。
みやま市関係では女子バレーボール元日本代表、長岡望悠(みゆ)選手(34)や、瀬口さんが総監督を務める中学生野球チーム「高田ファイターズ」からは九国大付出身でプロ野球西武の野田海人捕手(20)らプロ野球選手も巣立っている。
「アスリートの育つ街という方向性を作りたい。甲子園優勝から60年がたつが、内野ゴロならまだノックできる」。再び野球で地域が沸き立つ日を夢見て後進を指導している。【降旗英峰】
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