
「雲を見てみろ。写真を撮っとけ」。父のこの言葉がなければ、きのこ雲の写真を撮ることはなかった。自宅の裏庭にボタンが咲いておらず、原子雲に関する記事を見落としていたら、写真とカメラは人目に触れることなく、今も自宅で眠っていただろう。
1945年8月6日午前8時15分過ぎ、広島市上空に立ち上る原子雲を複数の日本人が写真に収めた。広島平和記念資料館(原爆資料館、同市中区)によると、地上で撮影された原子雲の写真は計27枚。うち24枚が現存し、14人の撮影者が判明している。
当時16歳だった同市南区の波田達郎さん(96)もその一人だ。旧制中学校を同年3月に1年前倒しで卒業。8月末の師範学校への進学に備え、小銃の部品を作っていた東洋工業(現マツダ)での学徒動員も解除になっていた。
原爆投下時刻、幼い弟2人の面倒を見ながら、爆心地から約4・2キロの自宅の縁側に座っていた。突然、目の前が青白く光った。まもなく爆風が押し寄せ、3メートルほど離れた座敷に壁や天井が崩れ落ちた。爆音を聞いたはずだが、光以外は記憶にない。弟たちを両脇に抱え、光と逆方向の勝手口から外に出た。
「写真を撮っとけ」父の一言
自宅近くの田んぼで雑草取りをしていた父・千里さん(当時44歳)が「(近くの)工業高校に爆弾が落ちた」と叫びながら、走ってきた。…
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