
待ち合わせした北海道帯広市内のコーヒーチェーン店で6月、元択捉(えとろふ)島民3世の遠藤あやさん(33)が話し始めた。
「二度とこんなことがあってはいけないという気持ちで、戦争とか負の歴史を知ろうと思っていて」
出会ったのは北方領土から北海道に引き揚げた元島民らの乗船名簿の閲覧会。若い世代の参加者は珍しかった。改めて話を聞いた。
歴史に興味を持ったきっかけは、中学生の時に見た映画「ライフ・イズ・ビューティフル」。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害を題材にしながら、「人間の温かみや、前を向く明るさと強さが描かれていた。衝撃だった」。平和への思いが強くなった。
以来、被爆地の広島や特攻隊の歴史が残る鹿児島・知覧(ちらん)などを訪ね歩いた。北方領土問題は昨年、元島民2世の知人が返還運動に力を入れていると知り、学びたいと考えたという。
ロシア語通訳の「旦那さん」
遠藤さんは手書きの家系図を示しながら、引き揚げ時に16歳だった祖母の証言や名簿に載る約8人の親族を紹介してくれた。
「祖母の姉の旦那さんは択捉島でロシア語通訳をしていたんですよね」
ふと出てきた話が気になった。聞くと、「旦那さん」は日本兵として択捉島に赴任。ソ連軍は終戦後に北方領土を占領した後、主に元日本兵をシベリアに送り、強制労働させたが、この男性はロシア語を話せたため重宝され、シベリア送りを免れたという。
函館に帰還した後、連合国軍総司令部(GHQ)から、一部赤色で表記された「赤のはがき」が届き、東京・市ケ谷の復員局へ出頭命令が来た。ソ連軍の内情を話すよう求められた。
その男性は石神善造さん。名簿にも名前があった。
…
Comments