
夏空を見ると、思わず涙ぐんでしまう。
17歳の時、広島で被爆した伊藤久子さん(97)=東京都武蔵野市=は結婚を機に東京に移り住んで75年あまり、当時の体験を口にすることはほとんどない。同じく被爆者で2021年に亡くなった夫力雄さんともじっくり語り合うことはなかった。それでも、「あの日」は不意によみがえってくる。
骨も見つからなかった弟
米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日、爆心地から東に約10キロ離れた郊外にいた。学徒動員先の工場で点呼が終わった時、まばゆい閃光(せんこう)が走り、爆風で窓ガラスの破片が吹き飛んだ。けが人が大勢出て騒然とする中、外を見ると広島市方面の空に大きな雲が浮かんでいた。「白くて大きな雲が忘れられない。ふわふわしているのじゃなく、塊だった」
直後から川の土手に沿って歩き続け、翌7日に爆心地から2キロほどの広島市三篠町(現広島市西区)の親族宅にたどり着いた。道中、すれ違った人は顔も手足もやけどで皮膚が垂れ下がり、服はぼろぼろだった。はだしの足はパンパンに膨れ、血まみれのままふらふらと歩いていた。
中学1年だった弟は、市中心部で建物疎開作業中だった。実家がある山口県境の広島県大竹町(現大竹市)と広島市中心部を何度も往復して捜し回ったが、遺骨すら見つからなかった。…
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