ジェームズ・ボンドを生んだ「ケンブリッジ・スパイ」事件

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 暗号円盤、隠しカメラ、「TOP SECRET(最高機密)」の朱印が押された文書……。

 英国などのスパイたちが実際に使った道具や、関連事件の秘録などを集めた企画展「MI5:Official Secrets」が9月28日まで、ロンドン郊外の国立公文書館で開かれている。英情報局保安部(MI5)が115年の歴史で初めて、活動の舞台裏を一般公開した。

 干からびて黒くなった実物のレモンも展示されている。1915年、英国に潜伏していたドイツのスパイが、手紙に秘密のメッセージをしたためるために使用したものだ。レモン汁は、紙を加熱すると文字が現れる「見えないインク」として、何世紀も前から使われてきたといわれる。

ソ連の二重スパイになったエリート

 興味深い展示品の数々を見ていると、古いパスポートが目を引いた。モノクロ写真の顔立ちは気品を感じさせる。11年生まれ、職業欄には「公務員」と手書きされている。

 持ち主の名はガイ・バージェス。英情報機関の歴史に暗い影を落とす「ケンブリッジ・スパイ」事件の当事者の一人である。

 英南西部デボンポート出身のバージェスは30年代、名門ケンブリッジ大在学中に共産主義に傾倒し、ソ連側から勧誘されてスパイとなった。大学卒業後は、英国の対外諜報(ちょうほう)活動を担う秘密情報部(MI6)や外務省などで働き、職務で得た機密情報をソ連に流し続けた。

 同様に30年代にスカウトされ、ソ連のスパイになったキム・フィルビー、ドナルド・マクリーン、アンソニー・ブラント、ジョン・ケアンクロスも含め、5人は「ケンブリッジ・ファイブ」とも呼ばれる。彼らのほとんどが上流階級出身のエリートだった。

 フィルビーもケンブリッジ大卒業後にMI6入りし、44年には皮肉にも対ソ連のスパイ活動を指揮する立場になる。残りの3人もMI5や外務省などで要職に就きながら、ソ連に内通していた。

監視かわして亡命

 灯台下暗し――。国内外の諜報にたけているはずの英国が、身内の「裏切り」には長年気付かなかった。5人のスパイ活動の端緒を最初につかんだのは米国だった。

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