写真家の石内都さん(78)が、広島に20年近く通い続けている。見つめるのは、これまで語られてきた「ヒロシマ」ではなく、自身が出合った「ひろしま」。どちらかといえば避けてきたはずなのに、小さな縁がつもり毎年訪れるようになった。被爆80年の今年、石内さんは一つの決心をしたという。
今年5月、広島市の原爆資料館。「わあ、かわいい」「いくつくらいの子の服? 赤ちゃん?」。中庭に面した部屋に石内さんの声が響く。「相棒」と呼ぶ、下村真理学芸員が取り出したのは、ねずみ色をした上衣だった。パフスリーブや首元のギャザー、ボタンホール……。すべて小さく愛らしいその服の、首元から右半身にかけて黒ずんだ血のような痕がついている。まだ3歳だった久保昭二さんが、爆心地から1・3キロの自宅で身につけていたものだ。父や兄を自宅2階の窓から見送っているとき、原爆がさく裂。兄の朋行さんが弟の形見として大切に守り、2022年に寄贈した。
下村さんが襟元を整えると、自然光の下、服がふんわりと空気をまとう。7点を1時間ほどかけて撮り終えた。「80年ってすごいよね。80年分の時間がぎゅっと詰まっている」。ため息をつくように言った。
「まだ戦後は終わっていない」
写真界で最も権威ある賞の一つとされる「ハッセルブラッド国際写真賞」をアジア人女性として初めて受賞するなど、世界から注目を集める存在。その石内さんが初めて広島を訪れたのは07年、依頼された写真集の撮影のためだった。最初は気が進まなかった、という。既に多くの人が撮っており、わざわざ自分が行く必要はないと思っていた。だが、原爆資料館で遺品に出合った。そこで見たワンピースやくしには、「色が残っていた」。これまで見たモノクロ写真の印象とは異なり、おしゃれでかっこよかった。
翌年、こうした遺品が、戦後数十年たっても新たに寄贈され続けていることを知った。「まだ戦後は終わっていないって本当に思ったんです」。写真集を完成させれば終わりだと思っていたのに、それはほんの始まりだった。以降、体調を崩したこともあって休んだ23、24年を除き、毎年遺品を撮影に来ている。08年に写真集「ひろしま」が刊行された後も続く広島行きは、長期の「ひろしま」シリーズに結実した。
3年ぶりに訪れた、快晴の広島で言う。「全くよそ者の人間が今、広島と縁を持つようになった。歴史を垣間見たっていう感じがするんです。今日もそうです。一つの歴史を撮ったんです」。声に力がこもる。「で、その歴史は今もある。だから、私が撮っている被爆者の遺品は、過去のものじゃないんです」【高橋咲子】
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