広島市で6日にあった平和記念式典のあいさつで、石破茂首相は被爆した歌人の短歌を引用し、2度にわたって読み上げた。
「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」
原爆の猛火に襲われて教師を頼って死んでいった子どもたちと、最後まで教え子を守りながら命を落とした教師の無念を伝えている。
歌人は正田篠枝(1910~65年)で、爆心地の南東1・7キロの自宅で被爆した。正田は戦後、自らが目の当たりにした情景や知人らの体験を歌に詠んだ。この1首を含む100首を収録した歌集「さんげ」を47年に作った。
当時は連合国軍総司令部(GHQ)による情報統制下で、原爆被害の告発は容易ではなかった。私家版歌集として広島刑務所で秘密裏に印刷し、知人らに手渡しして検閲の網をかいくぐった逸話が残る。
犠牲になった子どもたちと教師を悼み、71年8月に平和記念公園の南側に「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」が建立された。
子どもを抱えて悲嘆にくれる教師のブロンズ像(高さ2・4メートル)で、首相が引用した歌が台座の銘板に記されている。毎年8月4日には広島市内の小学生や教職員らが集まって慰霊祭が開かれている。
式典後の記者会見で、首相は短歌の引用について「悲惨さ、悲しみが詰まっている。時間で風化することは避けがたいが、記憶を継承することはさらに深くしなければならない」と語った。【宇城昇、安徳祐】
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