
第二次大戦最後の全面戦争とされる「日ソ戦争」に注目が集まっている。シベリア抑留、中国残留孤児、北方領土問題の起点になった戦争だが、全体像に光が当たることは少なかった。
8月9日でソ連の対日参戦から丸80年。日露関係史の節目として、この戦争が現代に問いかける意味とは何か――。
新たに発見された史料を基に研究を続ける麻田雅文・成城大教授(東アジア国際関係史)に聞いた。【聞き手・飯田憲】
「残した爪痕は大きい」
先の大戦で多くの日本人が思い浮かべるのは対米戦争か、対中戦争ではないだろうか。日ソ戦争について先行研究がなかったわけではないが、概して研究が遅れてきた背景には史料の制約があった。
1991年のソ連崩壊以降、ソ連軍が旧満州(現中国東北部)で確保した関東軍(旧満州に駐屯して現地を支配した旧日本陸軍部隊)の公文書などが順次、公開された。これらによって日ソ双方の史料から空白を埋められるようになった。
日ソ戦争は旧満州、朝鮮半島、千島列島、樺太(サハリン)が戦場になった。ソ連軍174万人、日本軍100万人超が戦った。降伏条件を定めたポツダム宣言を日本が受諾した後の45年9月上旬まで戦闘が続き、残した爪痕は大きい。
シベリア抑留や中国残留孤児といった、日本人にとっての多くの悲劇につながり、北方領土など戦後に大きな問題を残した。広い意味では、朝鮮半島の南北分断や、中国における国共内戦の端緒の問題ともなった。
後半でいまも未解決な北方領土問題とのつながりを解説します
日露の対立と協調
日ソ戦争から、現代に通じる視点を3点指摘したい。
一つは日露関係の特徴だ。日本とロシアは、04年の日露戦争に始まる武力衝突があった一方、…
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