夏の甲子園に春夏通じて初出場を果たした静岡・聖隷クリストファー。
3日の組み合わせ抽選会でくじを引いた逢沢開生選手(3年)は、左腕の手術のため直後にベンチ入りメンバーから外れた。
仲間へのこまやかな気配りと、こつこつと努力する姿でチームをけん引してきた「主将」に朗報を届けたいと、9日の初戦に向け選手らの意気は上がっている。
5月に左腕を骨折
「気持ちを切らさず、しっかり準備して臨んでほしい」
全国49代表校が集まった抽選会。大会第5日第2試合のくじを引き、茨城・明秀日立との対戦が決まると、逢沢選手は大舞台に臨む仲間に、力強くエールを送った。
逢沢選手は今年5月の春季東海大会で、右翼から送球した際に左上腕を骨折した。
高校最後の夏を間近に控えてのけがだった。
失意の中、上村敏正監督(68)の言葉が励みになったという。
「賢い人は、できないことを考えるのではなく、できることを考え、それを行うものだ」
それから3カ月間、チームのサポート役に徹してきた。練習には毎日参加し、ノックのボール渡しや、バッティングマシンのボール入れをした。体調が悪そうな選手がいれば、真っ先に気づくのも逢沢選手だったという。
逢沢と甲子園へ
甲子園を懸けた夏の静岡大会。
逢沢選手は開会式で前年の準優勝旗を持って入場行進した後、ベンチ入りメンバーを外れた。
そんな逢沢選手が、選手たちに言った。
「甲子園に連れて行ってくれ」
「その言葉で、チームの雰囲気が高まった」と、逢沢選手に代わって静岡大会で主将を務めることになった渋谷海友選手(3年)が話す。
初戦から大勝を続け、決勝も投打がかみ合い快勝した。
決勝で1失点完投したエース左腕の高部陸投手(2年)は、昨年の秋季東海大会2回戦で敗れたときに、逢沢選手から『ここからだぞ』と声を掛けられた。悔しさをバネに成長した姿を見せ「あの言葉が励みになった」と振り返る。
新型コロナウイルス流行で夏の甲子園がなかった2020年の県独自大会で優勝。21年の秋季東海大会で準優勝しながら、翌年の選抜大会で選考されず――。
これまで、あと一歩届かなかった甲子園に、ついにたどり着いた。
渋谷選手は「『逢沢と甲子園へ』という思いで、皆の気持ちが一つになった」と話す。
甲子園出場が決まった瞬間を、逢沢選手はスタンドで見届けた。
ベンチを飛び出した渋谷選手から「やったぞ」と声を掛けられると「ありがとう」と応じた。
「頼んだぞ」と後託し
3日の抽選会前、逢沢選手は背番号19のユニホームで甲子園練習に参加した。これまでのチームへの貢献を評価してメンバーに登録された。
ノックの補助をしながら、あこがれのグラウンドの土を踏みしめた。
「打席でバットを振ってみろと言いたかったが、腕の状態から無理だった。入場行進もさせたかったが……」と上村監督は残念がる。
それでも、主将としての晴れ舞台となった抽選会で、逢沢選手は上村監督が「ほぼ絶好の日程」という大会5日目を引き当てた。
5日に手術することが決まったため、抽選会後は登録メンバーを外れた。「観客が入った甲子園の様子をイメージして、しっかり準備して臨み、粘って粘る自分たちの野球をしてほしい」と逢沢選手。
再び主将を務める渋谷選手に「頼んだぞ」と後を託した。「任せとけ」と答えた渋谷選手は「逢沢の分まで声を出す」と意気込む。
しばらくは安静が必要な「主将」に「甲子園初勝利を届ける」。
チームは心を一つにして初の甲子園に挑む。【藤倉聡子】
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