
またあした会おう。いつものように親友と言い合った。その明日は、原爆で断ち切られた。米軍による長崎への原爆投下から80年となった9日、爆心地から南に約800メートル離れた長崎県立長崎西高(長崎市)では、前身の旧制県立瓊浦(けいほ)中で原爆の犠牲になった生徒や教職員の慰霊祭があり、当時12歳の中学1年だった六田正英さん(92)=長崎県大村市=が初めて参列した。
「80年たった今でも2人の顔がはっきり浮かんでくる」。六田さんは目に涙を浮かべ、特に仲の良かった同級生、竹下譲治さん、下元照彦さんに思いをはせていた。「竹下君は家が豆腐屋さん。下元君はよく日焼けした健康的な人。2人とも温和な性格で、何でも言い合える良き仲間だった」
1945年8月9日は、朝から英語の期末試験を受けて下校。20分ほど歩き、自宅近くに来たところで2人と「またあした」「さよなら」と言って別れた。
それから約5分後。…
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