若い人に託す、核兵器を使わない決意 被爆者の鈴木聖子さん

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平和祈念式典に静岡県から被爆者を代表して参列した鈴木聖子さん(中央)。若い世代に継承してほしいと高校生2人を伴った。左は横井彩帆さん、右は中村絆さん=長崎市で2025年8月9日午前9時29分、上入来尚撮影 拡大
平和祈念式典に静岡県から被爆者を代表して参列した鈴木聖子さん(中央)。若い世代に継承してほしいと高校生2人を伴った。左は横井彩帆さん、右は中村絆さん=長崎市で2025年8月9日午前9時29分、上入来尚撮影

 静岡県代表で平和祈念式典に参列した鈴木聖子(まさこ)さん(81)=静岡市清水区=は、静岡の高校生2人とこの日を迎えた。「世界では80年前と同じような戦争や紛争が絶えない。核兵器を二度と使わないという決意を若い人たちに託したい」。つえを手に、雨が降り続く平和公園に立ち、被爆体験を継承しようとする世代に期待を寄せた。

 3姉妹の末っ子。爆心地から約2キロの長崎市西山地区の自宅で、四つ上の次女と被爆した。母は外出中で、1歳半だった鈴木さんは廊下に寝かされていたらしい。記憶はないが、市内の小学校で被爆した、10歳離れた長女からは「目が開けられないほどの閃光(せんこう)だった」と聞いた。

 自宅の窓ガラスは吹き飛んだものの家族は奇跡的に無事だった。だが、被爆の苦しみは続いた。小学5年の時、父の仕事の関係で静岡に引っ越した。風邪を引いて教室でせきをすると、同級生から「ピカドンがうつる。向こうに行け」といじめられた。給食の時は「お母さんが(鈴木さんと)一緒に食事したらいけないと言っていたよ」。心ない言葉は忘れられない。

 母は乳がんを患い36歳の若さで亡くなるなど、両親と次女の3人ががんで逝った。「原爆さえなければ」との思いが消えることはなかった。

 自身は静岡で夫と出会い、30歳で出産した。被爆者として生きる不安が希望に変わったのは一人息子が生まれた日のことだ。「被爆者からは奇形児が生まれる」と聞いたこともあったが、手足の指が5本ずつあることを確かめて「この子のために頑張らなくちゃ」と決心した。

 鈴木さんは2024年から「静岡県原水爆被害者の会」の会長を務める。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)によると、かつて47都道府県にあった被爆者団体は25年4月現在、12道県で解散・活動休止を余儀なくされた。「被害者の会」も、前会長が病で倒れた24年は活動継続の危機に直面した。

 製薬会社に就職した19歳の時に入会した鈴木さんは「被爆1世にこれ以上頑張れというのは無理がある」と感じている。現在は会長以外の全ての役員を被爆2世が務めているという。

 そんな中、希望を感じるのが若い世代の存在だ。共に静岡から派遣された藤枝順心高(静岡県藤枝市)2年の中村絆(きずな)さん(16)と横井彩帆(さほ)さん(16)は孫世代。初めて訪れた長崎で「平和宣言」や「平和への誓い」に聴き入る2人の隣で、在りし日の家族の集合写真を手にしながら思った。

 「両親や姉から『平和が続くように頼む』と言われている気がする。『核なき世界』は遠い。これからも若い人の継承の力になりたい」【竹林静】

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