
クレド・ムトゥワという名を聞いたのは若いミュージシャンからだった。2024年1月のこと。私は、30代のころ特派員をした南アフリカに四半世紀ぶりに戻り、旧黒人居住区ソウェトの友人宅で居候していた。
真夏の1月、その家の息子、30歳の音楽家、タタ・ニャウォは仲間と家の前で夕涼みをしていた。タタは10代のころから町内の番長みたいな存在で、涼みながら、通りを行き交う人々を監視しているようでもあった。
奇妙な星の話 ムトゥワの名
空を見ながらタタが、脇にいる私にストレンジスター(奇妙な星)の話をした。1年前の深夜、寝室で何か落ち着かない気分になったタタが外に出ると、中空に奇妙な星が見えた。次第に大きくなった星は四角柱の形をしていた。タタが見つめると、箱形の星はすっと消えた。
UFOかと思い「ふーん」と聞き流すと、彼はムトゥワの名を口にした。「クレド・ムトゥワは若いころ、彼が言うチタウリ、宇宙人に拉致されて、ひどい拷問を受けたんだ。それでおかしな力がついた。予言とか人を治す力とか」
「そんな人がいたんだ」。私は気のない返事をした。そのころ、東部の町からときどきくる映像プロデューサーのパトリック・スブが「タタの話は意味がわからない」と言っていた。「頭がおかしい」という言い草だ。
タタの父親は20年来の友人で、私は幼いころから彼を知っている。とても賢く、余計なことを言わない子で、おかしくはない。走る電車の上に乗り電線をくぐりぬける危険な遊びをすることはあったが、総じてまともだ。唯一おかしいのは夜空ばかり見ていることだ。宮沢賢治の「虔十公園林」の虔十が空を見て笑っていたように。
60代の男からも同じ名前
一度日本に帰り再びソウェトを訪れた24年11月、ズールー語の基本会話ができるようになった私に、60代の男がこう言った。「アザニア、つまり中部から南部のアフリカを知りたいなら、歴史を学んだ方がいいよ」。南アフリカ人が書いた大方の歴史の本は読んだと言うと、彼は「『インダバ・マイ・チルドレン』(物語だ、子供たち)は?」と聞いた。「まだ、読んでない? それなら読まないと。アザニアを代表するシャーマン、…
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