<1分で解説>唯一無二のストライカー、釜本邦茂さん死去

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自身の引退試合として行われたヤンマー対日本リーグ選抜戦の前半15分、シュートを決め跳び上がって喜ぶ釜本邦茂さん=国立競技場で1984年8月25日 拡大
自身の引退試合として行われたヤンマー対日本リーグ選抜戦の前半15分、シュートを決め跳び上がって喜ぶ釜本邦茂さん=国立競技場で1984年8月25日

 サッカー元日本代表の釜本邦茂さんが10日、肺炎のため81歳で亡くなりました。釜本さんは1968年のメキシコ・オリンピックで得点王となり、日本に史上初の銅メダルをもたらしました。1分で読めて役に立つ「サクッとニュース」、今回は「唯一無二のストライカー、釜本邦茂さん」を解説します。

Q 釜本さんってどんな人だったの?

A 京都市出身で、京都・山城高から早稲田大に進み、1年時の64年2月に19歳で日本代表に選ばれました。日本が8強入りした同年の東京五輪では全3試合に出場しました。

Q 次のメキシコ五輪で大活躍したんだってね。

A ええ、6試合で7ゴールを決めて得点王に輝き、日本サッカー史上初の銅メダル獲得に大きく貢献しました。

Q 釜本さんのすごさはどこにあったのかな。

A 爆発的な身体能力と、右足の強烈なシュート、ヘディングの強さで得点を量産し、唯一無二のストライカーと呼ばれていました。また、日本代表の大先輩から「守備はしないのか」と指摘された際に「点を取ればよいでしょう」と答えたという逸話もあるほど、自我の強さも際立っていました。

Q どこのチームでプレーしていたの?

A ヤンマー(現セレッソ大阪)というチームでプレーし、旧日本リーグで251試合202得点を記録しました。また、日本代表として国際Aマッチ76試合に出場し、男子では歴代最多の75得点を挙げました。

Q 監督もしていたの?

A Jリーグが始まった93年から2年間、ガンバ大阪の監督としてリーグを盛り上げました。その後、日本サッカー協会の副会長や顧問を務め、日本サッカー殿堂入りも果たしました。また、95年から参議院議員を1期6年務めました。多くの人に影響を与えた釜本さんの功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。

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