
「米国の強みを自ら捨てる自滅的な行為だ」。トランプ米大統領が進める高関税政策に対し、経済学者の野口悠紀雄・一橋大名誉教授はそう批判する。一方、日本が自由貿易の重要性を主張するなら、コメ関税の見直しなど国内改革が不可避だと指摘。トランプ関税の本質的問題とは何か。日本は何をすべきか。
よく分からない約束させられた
――相互関税15%など、日米関税交渉の合意内容にどんな印象を持ちますか。
日本は中身がよく分からない約束をさせられたのではないかと懸念します。
特に問題なのは、相互関税15%と引き換えに受け入れた対米投資5500億ドル(約81兆円)の中身です。
極めて大きな額であるうえ、トランプ大統領は、お金は日本が出すが、利益の9割は米国が取ると言っています。どういう意味か、不明な点が多すぎます。
――日本経済に与える影響をどう見ますか。
相互関税の影響だけなら、ある程度の推計はできます。15%の場合は実質国内総生産(GDP)を0・5%程度押し下げるでしょう。
この推計は、米国内の売り上げを減少させないため、日本企業が輸出価格を関税分だけ引き下げると仮定した場合のものです。
しかし、輸出価格を引き下げない場合もあります。
その場合には輸出数量が減少します。
そのほかさまざまな影響が考えられ、場合によってはマイナス成長に落ち込むこともあり得ます。
――大国が力ずくで高関税を押しつけるのは本来、自由貿易の原則から外れます。日本の交渉のあり方に問題はなかったのでしょうか。
原則論で言えば、トランプ大統領がやっていることは世界貿易機関(WTO)の協定に反します。
本来はWTOの枠内で多国間により解決しなければいけない。
しかし現実に世界最大の経済大国が個別にディール(交渉)を持ちかけてきました。
欧州連合(EU)も当初は、WTOの枠内で解決すると主張していましたが、結局は個別交渉で決着を図りました。
大変おかしな事態が生じていることは確かです。しかし現実論としては米国の求めに応じ、個別交渉で決めるしかない。
やむを得ないとしか言いようがありません。
米国の強みを自ら捨てる自滅的行為
――相互関税はむしろ、米国企業への痛手が大きいとされますが。
今の米国の製造業をリードしているのは、IT大手アップルや半導体大手エヌビディアなどで、「ファブレス製造業」と呼ばれます。
その特徴は、国内に工場を持たず、製造は海外に委託していることです。
例えば、アップルがスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」を作る場合、米国内で行うのは半導体の設計のみです。
この設計に基づいて、台湾積体電路製造(TSMC)がチップを作るなど部品は海外で製造。最終的に台湾企業の鴻海(ホンハイ)精密工業が中国に保有する巨大工場で組み立てています。
これが中国から米国などに輸出されます。
iPhoneを生み出した付加価値の6~7割はアップルの設計によるもので、中国での組み立て作業による付加価値は数%に過ぎません。
しかしトランプ大統領は、中国からの輸入品だという理由で高関税をかけようとしています。
合理性を欠いているうえ、米企業であるアップル自身に負担を強いることになります。
――製造業は進化しているのに、その現実が無視されていると?
トランプ大統領は「米国に製造業を呼び戻す」と言いますが、想定しているのは1980年ごろまで繁栄した鉄鋼や自動車産業など古いタイプの製造業です。
これらは日本企業などの勢いに押されて衰退し、80年代に米国は厳しい不況に陥りました。
一方、2000年ごろから力を付けたのがファブレス製造業です。
設計などに特化し、製造は海外に委ねて生産性を上げたことで成長した企業であり、そのおかげで米国は再び豊かになりました。
トランプ大統領がやろうとしているのは、生産性が低く停滞していた80年代の米国に戻すことです。
米国の強みを自ら捨てる自滅的な行為にほかなりません。
――そもそもファブレス製造業が米国に工場を移す可能性はあるのですか。
それは不可能です。
iPhoneにしても強固な国際分業が確立しています。
アップルが世界的な競争力を持つ源泉はこの分業体制にあり、壊すことはできないでしょう。
さらに米国内でiPhoneを製造したら、賃金をはじめ多大なコストがかかり商品価格が跳ね上がります。
米国内でエンジニアを確保することも難しく、工場の米国回帰が進むとは考えられません。
日本も障壁撤廃し 自由貿易守る必要
――トランプ大統領は現実を分かっていないのか、それとも支持者しか見ていないのでしょうか。
両方あり得ます。
一つには…
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