
瀬戸内海に浮かぶ小さな島に「ごみの島」との汚名が着せられた時代があった。島を悪臭が覆い、人々は付近で取れた魚を拒絶した。観光客でにぎわう現在の様子からは想像もつかない過去だ。
香川県土庄(とのしょう)町・豊島(てしま)。豊かな自然を奪ったのが、1980年代を中心に起きた国内最大級の産廃不法投棄事件だ。75年に地元の産廃処理業者が県に処分場の建設許可を申請したことから始まった。以後50年の歩みを公害調停で住民側弁護団副団長を務めた大川真郎弁護士(84)が『よみがえる美しい島――産廃不法投棄とたたかった豊島の五〇年』(日本評論社)にまとめた。循環型社会への法整備など日本の産廃行政を大きく変えた事件の教訓を考える。
国際社会が共有する危機意識
「人類が滅亡するとしたら、ごみ問題が引き金ではないか。核兵器の使用も考えられるが、廃棄物も危ない」。大川さんは険しい表情で語る。ごみ問題から派生する生態系の乱れや気候変動が人間の命をも脅かし得るからだ。
大げさな指摘ではない。国連が定めるSDGs(持続可能な開発目標)の17の目標には「つくる責任つかう責任」などごみ問題と切り離せない項目が複数ある。また2019年に大阪市で開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)では、50年までにプラスチックごみの海洋流出ゼロを目指すことで各国が合意。国連環境計画(UNEP)がプラ汚染根絶の国際条約策定を目指すなど、ごみ問題は21世紀の国際社会が共有する重要課題になっている。
だが大量生産・消費が進められ、国内で環境汚染への危機感が十分共有されていない時代があった。その象徴が豊島事件だ。業者が…
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