夏の甲子園に出場している健大高崎(群馬)の下重賢慎(けんしん)投手(3年)は、昨春のセンバツ初制覇の瞬間はアルプス席で見守った。
優勝の立役者となった同級生の最速158キロの石垣元気投手(同)と佐藤龍月(りゅうが)投手(同)の背中を追い続け、「超高校級の3本柱」と他校の指導者らに警戒されるまでに成長した。
「最後の夏は、自分も貢献して日本一に」と誓う。
沖縄で見つけた2人の逸材
2021年12月末、沖縄県・石垣島でキャンプ中だった健大高崎の青柳博文監督は練習を休んで、同時期に約300キロ離れた久米島で開かれていた中学生の大会を視察した。
「左投手ででかくて、球が速い」
北海道釧路市出身で、「中学硬式野球リトルシニア北海道選抜」の一員だった下重投手の評判を聞きつけたからだった。
お目当ての下重投手は当時中学2年生。だが、この日は不調で「将来性はあるが、モノになるまでは時間がかかるな」とまずまずの印象だった。
帰りの飛行機の時間が気になり出したころ、同じ北海道選抜で登別市出身の石垣投手が登板し、その投球に目を見張った。「グッと来る速球を投げていて、打者は全部空振り。『欲しい』と思った」。2人は1年3カ月後、健大高崎に進んだ。
スタンドで見守ったセンバツ優勝
「北海道では半年、雪に覆われて土の上で練習ができない。野球を一年中やりたかった」という下重投手だが、北関東の暑さには悩まされた。「夏バテして、ご飯を食べられない日が続いた。野球をするために、無理して食べた」
2年生になったばかりのセンバツ。ベンチ外の下重投手に対し、石垣投手は既にチームの中心になっていた。
5試合すべてを石垣、佐藤両投手の継投で勝ち抜いて、健大高崎は初の頂点に立った。下重投手は「優勝はうれしかったけど、自分もあの舞台に立ちたかった。中学の時は正直、自分が上だと思っていたが、石垣が何枚も上だった」と振り返る。
センバツ後の春季県大会からベンチ入りメンバーに昇格した。一方、同じ左腕の佐藤投手は左肘の靱帯(じんたい)を痛め、昨夏の甲子園直前に離脱した。
下重投手は練習に励み、昨夏の甲子園初戦では先発を任された。だが、四回1死満塁のピンチを招いたところで石垣投手にマウンドを譲った。ほろ苦い甲子園デビューとなった。
3本柱の一角に
それが今春のセンバツ初戦では雨の中、延長十回を1人で投げ抜き、強豪の明徳義塾(高知)を破るなど一回り大きくなった姿を見せた。
準決勝は優勝した横浜(神奈川)打線につかまり、目標とした春連覇は果たせなかったが、青柳監督から「自信をつけて安定感が出た。チームに向けた発言もするようになった」と評価されるまでに成長した。
同郷の石垣投手とは練習が休みの日に一緒に焼き肉を食べに行く。石垣投手は「下重は頼りになる存在。投球を安心して見ていられる」と話す。
春の関東大会を制し、優勝候補の一角に挙げられる健大高崎だが、初戦は夏連覇を狙う京都国際になった。
昨夏の優勝投手、西村一毅投手(3年)とは今年4月のU18(18歳以下)高校日本代表候補選手の強化合宿で相部屋になって連絡を取り合う仲。LINE(ライン)で「ヤバいね」とメッセージが届き、「マジ、ヤバいね」と返した。投げ合うことを楽しみにしている。
佐藤投手が今夏の群馬大会から復帰し、投手陣は厚みを増した。「変化球の精度を上げるなど、まだやれることはある」と下重投手。
「『最強投手陣』と言われる重圧をはね返し、スコアボードにゼロを並べたい」
初の夏制覇へ最後の挑戦が始まる。
【早川健人】
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