
白くなった死体が一面を埋め尽くす中、まだ新しい死体を担架で運び込む男性たち。空襲直後の光景を描いた油彩画の裏に、戦時中の生々しい描写と反戦への思いがびっしりと書き込まれていた。
「空襲で全市街は火災の生地獄(いきじごく)だ 市の中心部汀(みぎわ)町の広場に 避難の市民約九百人は 火災に焼かれ窒息の死だ 一夜明けた朝累々とした死人の山だ」
この絵を描いた和歌山市の画家、寺中靖直さんは1945年7月、米爆撃機B29の空爆で約1100人が犠牲になった和歌山空襲を経験した。戦後、戦争を題材にした多くの作品を残し、反戦平和を訴え続けた。
※同時公開の関連記事が2本あります
9割が「記憶の継承困難」 AI活用5施設のみ 全国70の戦争博物館
特攻隊員が笑み浮かべるAI動画 元隊員が見たら…「いや、鬼の顔に」(文末に動画あり)
3世代でつなぐ「体験」伝えたい
「戦争の話はあまりしようとしなかったけど、とにかく絵を描いていた」と孫の木下和(かず)さん(71)は振り返る。小学生のころ、アトリエで絵の裏の文章を見せてもらったことがある。幼い和さんに内容は難しく、とても恐ろしい絵の印象だけが残った。
寺中さんは88年、自身の作品を展示した寺中美術館を市内に設けたが、2年後に亡くなった。それからは寺中さんの娘で和さんの母にあたる立石靖子さんが期間限定で開館したり観覧希望者を案内したりした。
靖子さんは10代の時に戦争を体験しており、「やらないと父が死なせてくれない」との強い思いから美術館を継続させた。しかし、その靖子さんも2020年に89歳でこの世を去った。
母から美術館を継いだ和さんは「戦争を経験していない自分が母のように強い気持ちで続けられるだろうか」と思った。そんな葛藤を抱えながら細々と続けてきたが、…
Comments