
「女性らしさ」の殻を破る挑戦だった。
伝統にのっとりつつ、新しいモチーフや手法を取り入れた。国に貢献し、活動の場を得るために。
描いたのは働く女性たちの姿。色鮮やかな二つの大作は、暗いトーンの戦争画が並ぶ中で異彩を放っていた。
連載「戦時下ですから」は全7回のシリーズです。
次回は 特高月報に載った13歳の少年
15日午前11時アップです。
描かれた42の女性の労働
「大東亜戦皇国婦女皆働之図(かいどうのず)」
春夏の部は福岡の筥崎宮(はこざきぐう)に、秋冬の部は東京の靖国神社遊就館に所蔵されている。
縦約1・85メートル、横約3メートルの油彩画二つに描かれているのは、砲弾や落下傘の製造、漁業や養蚕など計42の労働だ。
この2枚が約半世紀ぶりにそろって7月15日から東京国立近代美術館(千代田区)で展示されている。
「不思議な絵ですよね。一緒に描くと肘と肘がぶつかってしまうので描き終えてから次の人が描いたそうです」
母の高木静子さんが描いた、ヘッドホンを付けて通信機器を操作する女性を見上げて、長女の中里紅子(こうこ)さん(70)は言った。
高木さんは絵を共同制作した女流美術家奉公隊の青年隊に所属した。
奉公隊は1943年2月に発足。陸軍美術協会に事務所を置き、画家や工芸家ら約60人の女性が参加した。
当時の会報に大本営陸軍報道部が結成式に寄せた祝詞の一節が「心に銘記すべき事」として載っている。
<婦人ナルガ如キ所謂(いわゆる)ハンデイキャツプヲ一擲(いってき)シテ最モ潑剌(はつらつ)タル氣勢(きせい)ヲ以テ美術報國(ほうこく)ニ邁進(まいしん)シテ戴(いただ)キ度(た)イモノデアリマス>
女性としての不利な条件を捨て、美術で国に尽くしてほしいという内容だ。
高木さんは女子美術学校(現女子美術大)で油彩を学び、美術教師になった。友人に…
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