
社会部大阪グループで事件・事故を担当する井手千夏記者は、母方の祖父、父方の祖母が長崎原爆で被爆した被爆3世です。記者が子どものころ、被爆直後に自身の兄を失った悔しさをいつも語ってくれた祖父は、一昨年96歳で亡くなり、もう話を聞くことはできません。昨年、遺族として初めて平和祈念式典にも参列した井手記者は、受け継いだ祖父母の思いを次の世代の「あなた」に伝えるために、何ができるのか自らに問い続けています。
「あの時、兄を止めとれば」
長崎市に住んでいた祖父は私が訪ねていくと、和室のヒノキの柱に背をもたれ、いつも同じ話をした。「あの時、おじいちゃんが兄を止めとればよかったとに……」。長崎原爆で兄と被爆した祖父はよく、私に体験を語ってくれた。ただ、内容は毎回同じで、幼かった私は早く祖父と遊びたくて、「うん」と相づちを打つだけだった。でも、今なら聞きたいことがたくさんある。おじいちゃんはどんな思いで体験を話してくれたの? 何を願っていたの? もう答えは返ってこない。
私が生前の祖父から聞かされてきた被爆体験はこうだ。母方の祖父・谷崎豊は戦中、京都市で学生生活を送っていた。1945年8月9日、郷里・長崎に原爆が投下されたことを知り、祖父はすぐ列車で向かった。到着後、爆心地に近い浦上地区にあった自宅を目指したが、…
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