村山談話の草案作成者、「市民談話」代表者が見る談話なき戦後80年

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全国戦没者追悼式=東京都千代田区で2024年8月15日、武市公孝撮影 拡大
全国戦没者追悼式=東京都千代田区で2024年8月15日、武市公孝撮影

 これまで政府は戦後50、60、70年の節目に閣議決定を経た首相談話を出してきた。だが、80年の談話はなく、石破茂首相の見解となる見通しだ。談話の見送りをどう受け止め、次世代に何を伝えるべきだと考えるのか。「戦後80年市民談話」のプロジェクトの代表者と、日本のアジアへの植民地支配と侵略を認めた戦後50年談話の草案を作った元駐中国大使にそれぞれ聞いた。

市民でつくる談話

 「談話を出さないこと自体がメッセージになってしまう」。教育を通じて社会課題の解決に取り組むNPO法人「Wake Up Japan」(神奈川県葉山町)副代表理事の長川美里さん(35)は危惧する。これまでの談話が引き継いできた歴史認識や平和への願いを軽んじることになりかねないと思うからだ。

長川美里さん=東京都千代田区で2025年8月7日、猪飼健史撮影 拡大
長川美里さん=東京都千代田区で2025年8月7日、猪飼健史撮影

 高校時代に米国に留学し、さまざまな国の同世代と交流した。日韓、日中の関係が「近くて遠い」と表現されることに違和感を覚え、2020年に「東アジア平和大使プロジェクト」を仲間とスタートさせた。

 目的はお互いの理解を深めることだ。日本国内の平和記念館を訪ね歩いたり、勉強会で過去の談話を読み比べたりした。中国や韓国出身の参加者もいた。

 そして、政治家や有識者だけでなく誰もが参加できる「市民談話」を作る案が持ち上がった。戦後80年に向けて伝えたいことを24年夏からインターネット上で国内外に募り、今月12日現在、14の国や地域から114の声が集まった。

 当初はその声を集約するつもりだったが、あえて一つにまとめることはせず、プロジェクトのホームページで公開。個々の声の内容を踏まえ、長川さんら中心メンバーが「戦争から80年の平和の声―戦後80年市民談話」を練り上げた。「私たちが、私が、あなたが、いま、見えていないものはなんだろう」と対話の大切さを呼びかけ、「次の80年の、平和を創れますように」などと願いを込めた。

 今月1日、長川さんらはこの市民談話を携え、首相談話の発表を求める請願書を内閣府に提出した。

 首相談話はアジアの人々への謝罪が注目されがちだが、長川さんはそれだけではないと指摘する。「談話は国内外に対して日本が平和国家としてどうありたいかを示してきた。過去の歴史や教訓を受け継ぐのは最低ライン。その認識を継承していることだけでも示すべきだ」【椋田佳代】

歴史と向き合う

 1995年の村山富市首相談話に携わった元駐中国大使の谷野作太郎さん(89)は「歴史といかに向き合うかが大事だ」と説く。

谷野作太郎さん=東京都文京区で2025年8月6日、宮城裕也撮影 拡大
谷野作太郎さん=東京都文京区で2025年8月6日、宮城裕也撮影

 当時は内閣外政審議室長。95年7月に村山氏に指名され、談話の草案を作成した。過去の日本の行為を「植民地支配と侵略」と明記し、アジアの人々に対する反省とおわびの気持ちを表明。日本の戦争責任を明確にした。

 村山氏の思いをくむとともに、外務官僚を務める中、海軍主計将校だった中曽根康弘元首相や大蔵省から出向し中国の占領政策に関わった大平正芳元首相らの戦争体験を聞いたことが談話の礎となった。

 談話を出すにあたり、中曽根氏に「大事な歴史をどう認め語るかは各党に委ねる話ではなく、政府がしっかりとしたものを書くべきだ」とかけられた言葉は今も覚えている。

 谷野さんは「事実をそのまま書いた。先の大戦は植民地支配以外の何ものでもない」と振り返る。そんな谷野さんだが、「謝罪はこれまでもしており、次の世代にまで負わせるべきではない」と言う。石破首相の見解にも強い注文はない。

 「『謝罪』や『植民地支配』といったキーワードにとらわれず、日本がアジア諸国との間で関わった不幸な歴史から逃げず、ゆがめず、勇気を持って向き合い、同じ過ちを繰り返すことがないよう真摯(しんし)に姿勢を示すことが大事だ」【宮城裕也】

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