「限界集落」に再び光を 開拓者の子孫がキャンプ場オープン 福島

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「戦後開拓の記憶を次代につなぐ場所に」と話す菅田美嘉さん=福島市大笹生のかんたファームワイルドキャンプ場で2025年5月29日午前10時37分、錦織祐一撮影
「戦後開拓の記憶を次代につなぐ場所に」と話す菅田美嘉さん=福島市大笹生のかんたファームワイルドキャンプ場で2025年5月29日午前10時37分、錦織祐一撮影

 「ここに碑が建っています」

 福島市大笹生(おおざそう)で「かんたファーム」を営む菅田(かんた)美嘉さん(54)が、山間部にある大平(おおだいら)地区の一角を案内してくれた。草深い空き家の庭先に、高さ1メートル以上の黒い石碑が建ち「大平開拓ノ地 昭和二十二年四十二戸入植」と刻まれている。昭和22(1947)年が集落の歴史の始まりであることを示す。

 大平地区は吾妻連峰の北麓(ほくろく)にあり、奥羽山脈を挟む山形県米沢市との境に近い。現代でもJR福島駅から車で1時間近くかかるこの地に、戦後開拓で菅田さんの大叔父ら戦地から引き揚げてきた72人の開拓団が入植して山林を切り開き、酪農などで生計を立てていたのだ。

大平地区の一角に残る空き家と「大平開拓ノ地」と刻まれた石碑=福島市大笹生大平で2025年5月29日午前9時51分、錦織祐一撮影
大平地区の一角に残る空き家と「大平開拓ノ地」と刻まれた石碑=福島市大笹生大平で2025年5月29日午前9時51分、錦織祐一撮影

 現在、大平地区には菅田さんを含めて数世帯が残るのみ。「限界集落」となったこの地で、「開拓精神を受け継ぎ、再び光の当たる場所にしたい」と菅田さんは新たな試みを始めた。

 菅田さんの家は江戸時代から現代まで福島市で農業を営む。大叔父の芳人さんと安藤義見さん(ともに故人)は戦地から復員し、戦後の食糧難を解消するための国の開拓事業で大平に入植した。

 2人は農業を始め、義見さんの妻ミエさん(故人)は助産師として大平で生まれた多くの赤ちゃんを取り上げた。市立大笹生小の分校もあり、地域の子どもたちは牛乳缶を背負って奥羽線の赤岩駅(2021年廃止)まで約1キロの険しい山道を運んでいたという。

 70年代に開拓事業は終了し、各種補助金は打ち切られた。住民らは、不便で冬は大雪が降る大平から徐々に転出した。それに輪を掛けたのが東京電力福島第1原発事故だった。イノシシやサルなどの野生動物が増え、大平でも食害が手に負えなくなった。菅田さんのまたいとこも大平を離れ、約2ヘクタールの農地が耕作放棄地になった。

 菅田さんは代々の農地を受け継ぎ、減農薬・有機肥料で少量多品目の野菜や果樹を栽培している。「人を癒やす仕事がしたい」と2001年にリラクゼーションサロンを起業。最盛期は福島、山形両県に23店を展開するまでに成長させたが、両親が高齢化して農業に軸足を移そうと考えていた。その矢先に新型コロナウイルス禍に見舞われて一気に縮小。高湯温泉のホテル内の1店のみとなった。

かんたファームワイルドキャンプ場の地図
かんたファームワイルドキャンプ場の地図

 時間ができたこともあり、子どもの時には足しげく訪れていた大平に足を運ぶと、農地や旧家が雑草に覆われて荒れ果てていた。「大叔父たちがせっかく切り開いた土地が森に戻ってしまうのは耐えられない。再生させたい」と一念発起した。雑草を刈り取って耕作を再開するとともに、広大な土地を生かしたキャンプ場として活用しようと動き出した。空き家は自作でレストハウスにリノベーションした。

 幸い、最寄りの東北中央道福島大笹生インターチェンジからは車で30分。コロナ禍から逃れられる大自然の中のキャンプはプレオープン段階で首都圏からも人気を集め、21年10月に営業開始。アウトドア用品メーカー「モンベル」と連携して情報を発信し、四輪バギー体験やドラム缶風呂などが楽しめる。キャンプ場近くやふもとの農園での農作業体験も売りだ。

 大平地区にはまだ広大な耕作放棄地が広がり、一時はメガソーラー(大規模太陽光発電所)の話も持ち上がった。菅田さんは「開拓民がこの地を切り開いた歴史をなかったことにしたくない。ここを再び、都市の人々と地方の人々がつながる場にしたい」と、次代に記憶と希望をつなぐ。【錦織祐一】

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