比叡山の知られざる特攻基地 死と隣り合わせで終戦迎えた元隊員

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比叡山の特攻基地があった付近。現在は比叡山ドライブウェイが走る。左は西尊院堂=大津市で2025年8月5日、村田貴司撮影
比叡山の特攻基地があった付近。現在は比叡山ドライブウェイが走る。左は西尊院堂=大津市で2025年8月5日、村田貴司撮影

 1200年以上の歴史を有し、世界文化遺産に登録される比叡山延暦寺。「日本仏教の母山」と称される寺院に第二次世界大戦末期、特攻隊の基地があったことは広く知られていない。

 「人間爆弾」とも呼ばれる小型の特攻機「桜花(おうか)」の部隊を旧日本海軍が配備したとされるが、戦後すぐ米軍によって爆破されたため、その痕跡は現在、ほとんど残っていない。

 国の安泰を祈願してきた“聖なる”地に、なぜ相反するような軍事施設が建てられたのか。終戦から80年を経た今、当時を知る数少ない人々の証言を基に、本土決戦が迫る苦境のなか進められた計画をひもとく。

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