「諦めかけた」マウンド、健大高崎・佐藤龍月の1年 夏の甲子園

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【健大高崎-京都国際】力投する健大高崎の佐藤龍月選手=阪神甲子園球場で2025年8月13日、前田梨里子撮影
【健大高崎-京都国際】力投する健大高崎の佐藤龍月選手=阪神甲子園球場で2025年8月13日、前田梨里子撮影

 昨春のセンバツ大会優勝投手が、500日ぶりに甲子園のマウンドに立った。長い道のりがあった。

 「センバツで優勝し、手術を経験したことが自分の人生の中でとても大きい」

 阪神甲子園球場で13日にあった全国高校野球選手権大会の2回戦で京都国際に3―6で敗れた健大高崎(群馬)の佐藤龍月(りゅうが)選手(3年)は試合後、こう語った。

 背番号7をつけた佐藤選手はベンチスタートで、三回にブルペンへ向かうと、肩を作り始めた。

 3―4で迎えた四回、2死一、三塁のピンチで3番手投手として名前が場内にアナウンスされると、湧き起こった拍手に包まれながらマウンドに上がった。

 相手は3番の左打者。1ボールからの2球目、左腕から141キロの直球を内角へ投げ込んだ。詰まらせて遊ゴロに打ち取り、ベンチに引き揚げると笑顔を見せた。

 この窮地は切り抜けたが、その後は球に力が入らなかった。五回と六回はいずれも先頭打者に四球を与え、適時打で1点ずつ失った。

 2回3分の1を投げて2失点。前回大会王者の京都国際打線の勢いを止められず、試合後は悔しさから涙を流したが、充実感も口にした。

左肘を手術し、打者としてセンバツ大会出場を目指していた時期に軽めのキャッチボールをする健大高崎の佐藤龍月選手=群馬県高崎市で2025年1月26日、手塚耕一郎撮影
左肘を手術し、打者としてセンバツ大会出場を目指していた時期に軽めのキャッチボールをする健大高崎の佐藤龍月選手=群馬県高崎市で2025年1月26日、手塚耕一郎撮影

 「甲子園の舞台にまた帰って来られたことがとてもうれしかった。投げる前は緊張もあったが、実際にマウンドに上がった時に歓声が上がり、帰ってきて良かったと思えた」

 佐藤選手はキレのあるスライダーと直球を武器に、背番号1を背負った昨春のセンバツ大会は準々決勝までの3試合で先発。準決勝に続いて救援登板した2024年3月31日の決勝、報徳学園(兵庫)戦は九回から投げて試合を締めた。

 その夏も中心選手として9年ぶりの群馬大会制覇に貢献した。

 しかし、左肘が悲鳴を上げる。得意としていたスライダーの多投と、インステップするフォームは肘に負担がかかっていた。飲み物を飲む時、入浴時のちょっとした動作にも痛みが走った。

 夏の甲子園大会開幕前に靱帯(じんたい)断裂と疲労骨折が判明し、ドクターストップがかかった。8月末には内側側副靱帯再建手術「トミー・ジョン手術」を受けた。長いリハビリ生活が始まった。

色紙を手にポーズを取る健大高崎の佐藤龍月選手=群馬県高崎市で2024年11月19日、三浦研吾撮影
色紙を手にポーズを取る健大高崎の佐藤龍月選手=群馬県高崎市で2024年11月19日、三浦研吾撮影

 1年後に甲子園のマウンドに立つ姿は想像できなかった。

 「最初に(手術を)決断した時にはほぼ諦めかけていたところがある。本当に多くの方に支えられてここまで来られた」

 投げられない期間は、フォームを見直してウエートトレーニングで体を大きくするなど、体作りの時間に充ててきた。今春のセンバツ大会は全4試合に代打で出場した。

 手術から約9カ月後、群馬大会を前に今年6月、投手として実戦復帰を果たした。群馬大会では7月19日の3回戦で登板し、147キロをマークするなど中継ぎで2試合に登板して無失点。チームは2年連続の夏の甲子園大会出場を決めた。

【健大高崎-京都国際】力投する健大高崎の石垣元気選手=阪神甲子園球場で2025年8月13日、藤井達也撮影
【健大高崎-京都国際】力投する健大高崎の石垣元気選手=阪神甲子園球場で2025年8月13日、藤井達也撮影

 佐藤選手が不在の間、チームの背番号1を付けたのが、石垣元気選手(3年)だった。最速156キロのプロ注目右腕は、1年生の時から佐藤選手と試合に出場し、切磋琢磨(せっさたくま)してきた。

 だからこそ、佐藤選手が甲子園のマウンドに戻ったことに、特別な思いを感じていた。

 「1年前に龍月がいなくなって、自分が背番号1を引き継ぎ、龍月の思いも背負って投げていた。改めてすごさを知ることができた。1年ぶりに帰ってきたんだなって見ていて感動した」

 試合後は2人でクールダウンのキャッチボールをした。インタビューエリアでは互いに「ありがとう」と感謝の言葉をかけ、固い握手を交わした。

 健大高崎の青柳博文監督は佐藤選手について「非常に気を使いながら一生懸命やっていた。復帰させてやりたいと思い、やってきたので、甲子園のマウンドに立たせられて良かった」とねぎらった。

 佐藤、石垣両選手について「うちの歴史の全てと言ってよいかもしれない。2人がいなければ、こういう結果はなかった。注目を集め続けながら3年間野球をやってこられたので、自分としても非常に良い経験をさせてもらった」と話した。

 佐藤選手も石垣選手もプロを目指しており、今秋のドラフト会議に向けてプロ志望届を出す予定だ。目標は2人で球界を代表する投手になること。佐藤選手はこう語った。

 「他の人は経験できないぐらいのたくさんの経験をさせてもらった。全て前向きに捉え、これからの人生に生かしていきたい」

 激動の高校時代は必ず今後への糧になるはずだ。【高橋広之】

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