
戦争では国民全体が被害に遭った。だからみんなで我慢しなければならない――。日本の戦後補償のあり方を決定づけた「戦争被害受忍論」。2024年12月、ノーベル平和賞の授賞式で、演説に立った日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さんが原稿にない予定外の言葉で厳しく批判したことから、改めて注目された。受忍論が「壁」となってきた民間人戦争被害者への補償は今、どうなっているのか。また「これからも受忍論を受け入れ続けること」に識者が憂慮する理由とは。
※この記事は上・下構成になっています。
<上>「ひとしく我慢を」 日本の戦後補償支えた「受忍論」の正体とリスク
<下>「有事」に民間人が被害に遭ったら… 受忍論が及ぼす未来への影響
立ち上がる空襲被害者と「議連」の発足
民間人戦争被害者の救済に向けた取り組みは、受忍論に阻まれ停滞を余儀なくされたが、2000年代に入り再び活発化した。東京大空襲の被害者131人、元シベリア抑留者30人、大阪空襲の被害者ら23人が、それぞれ国の謝罪と補償を求めて提訴するなど運動が広がった。
東京大空襲訴訟の原告団には、両親と妹を失い3歳で孤児となった吉田由美子さん(84)、母親と弟2人を奪われた河合節子さん(86)がいた。2人は「専門家が法廷で被害を証明した。当然、勝つと思っていました」。
しかし敗訴。東京高裁でも敗れ、13年に最高裁で敗訴が確定した。他の訴訟も原告が敗れた。ただ、いずれも以前のように受忍論を盾に、訴えを切り捨てるような判決ではなかった。被害を認定して原告の心情をくみ、立法による解決を促す判決もあった。
救済立法に向けて動き出す
救済の実現に向け、空襲被害者は10年、全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)を結成。翌年発足した超党派の国会議員連盟(空襲議連)とともに救済立法を目指した。12年には救済の素案ができた。戦災孤児や遺族らも対象に1人当たり40万~100万円を支給する内容で、推定対象者は65万人、予算は6800億円と試算された。
しかしその後…
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