「ひとしく我慢を」 日本の戦後補償支えた「受忍論」の正体とリスク

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空襲や沖縄戦の被害者、シベリア抑留者、元戦犯やその遺族らでつくる団体が国による補償を求め、合同で行った記者会見。戦後80年の節目に戦後処理の速やかな解決を求めた=東京都千代田区の衆院第2議員会館で2025年8月7日、猪飼健史撮影
空襲や沖縄戦の被害者、シベリア抑留者、元戦犯やその遺族らでつくる団体が国による補償を求め、合同で行った記者会見。戦後80年の節目に戦後処理の速やかな解決を求めた=東京都千代田区の衆院第2議員会館で2025年8月7日、猪飼健史撮影

 原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない――。ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは2024年12月、授賞式で日本政府の「戦争被害受忍論」を、こう厳しく批判した。

※この記事は上・下構成になっています
<上>「ひとしく我慢を」 日本の戦後補償支えた「受忍論」の正体とリスク
<下>「有事」に民間人が被害に遭ったら… 受忍論が及ぼす未来への影響

 戦後、国は元軍人や軍属、その遺族らに手厚い補償や援護を行う一方、民間人戦争被害者は切り捨てる政策を続けてきた。救済を目指す運動も相次いだが、実現を阻んできた高くて厚い壁が「戦争では国民全体が被害に遭った。だからみんなで我慢(受忍)しなければならない」という論理だった。

 この「戦争被害受忍論」はいつ誕生し、どう展開されてきたのか。そして、受忍論を認め続けることは私たちの未来にどう影響するのか。戦後80年の節目に展望する。

元軍人らには60兆円

 第二次世界大戦では、戦闘や空襲でおよそ310万人の日本人が命を落とした(厚生労働省の推計)。生き残った人々も甚大な被害を受けた。心身に障害を負った人、家財を失った人、あるいは親を殺され孤児になった人。国民全体がさまざまな苦難を強いられた。

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効で日本の独立が回復すると、政府はすぐに元軍人・軍属への国家補償について定めた「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を制定。翌年には占領中、停止されていた軍人恩給を復活させた。こうした補償の総額は、今日まで累計60兆円に及ぶ。

 一方、民間人戦争被害者は補償の対象外とされた。国の言い分は、要するに「旧軍人・軍属らは、国との間に雇用関係があったが、民間人とはそういう関係がなかった」というものだ。民間人の戦争被害は、障害者福祉や高齢者福祉、生活保護といった一般の社会福祉政策で対応する。それが国の今日までの一貫した立場だ。しかし、戦争は…

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