82年の時を超え…解読 戦死した叔父の手紙にあふれた「感謝」

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耕作さんからの手紙(コピー)と市橋さんらによる読み下し文=2025年8月5日午後0時31分、太田穣撮影 拡大
耕作さんからの手紙(コピー)と市橋さんらによる読み下し文=2025年8月5日午後0時31分、太田穣撮影

 太平洋戦争の激戦地、ニューギニアで戦死した若い兵士が、同地への出発前に家族へ宛てた手紙が、82年の時を超えて見つかった。「死ぬ迄は勝ち抜かねばならん」「船中に先立つ身 御許し下さい」と記された軍用便箋10枚の長文には、軍隊用語と旧仮名遣いが並ぶ。自らの死を覚悟しつつも、家族と故郷への限りない思慕がにじむ。

 手紙を書いたのは、狩野耕作さん(当時21歳)=群馬県敷島村(現渋川市)出身。昭和18(1943)年10月30日付で、「釜山北兵営厩舎(きゅうしゃ)二階にて耕作記す」とあった。

 「南方戦線追求の命」を受け、ニューギニアへ向かう直前に筆をとったとみられる。自身の軍歴や戦地での経験、父母や兄姉への感謝と別れの言葉が、切々とつづられている。

 手紙は、宇品港(広島県)から釜山へ渡り、奉天、山海関を経て、山西省河津へ至る耕作さんの足跡から始まる。そこでは一期教育や下士官候補生としての教育、同省泰安で担当した初年兵教育など入隊後の経歴や生活ぶりが報告されている。

 雨や風塵(ふうじん)など荒天との戦いや、一滴の水もない山間地での行軍や演習の厳しさも描写されている。教官からのねぎらいの言葉を受けた夜、城壁の上から東の空に向かって家族を思い「唯 何人とも知れず泣きました」とも記している。

耕作さんからの手紙のコピーを手にする大森さん。固有名詞を調べては細かな注釈を書き込んだ=足利市江川町で2025年7月22日午後3時20分、太田穣撮影 拡大
耕作さんからの手紙のコピーを手にする大森さん。固有名詞を調べては細かな注釈を書き込んだ=足利市江川町で2025年7月22日午後3時20分、太田穣撮影

 特に心を打つのは、家族への深い思いを表したくだりだ。かつて日露戦争の際に応召し、退役後は水田の開墾に取り組んでいる父への尊敬と感謝の気持ち、家族や故郷への思いがつづられていた。そして「遂に此の身には強固なる覚悟は完成させられてあります」「死ぬ迄は勝ち抜かねばならんの秋 早いか遅いか 只時間の問題なり」と覚悟を伝え「南海の一島嶼にか 或いは太平洋上の船中に先立つ身 御許し下さい」と別れを告げていた。

 この手紙を解読したのは姪(めい)の大森暢子さん(69)=栃木県足利市江川町。今年5月に亡くなった兄が大切に保管していたもので、専門家の協力を得て軍隊用語や中国、朝鮮の地名が並ぶ旧仮名遣いの解読を試みた。

 「父の弟で、若くして戦死し、遺骨も帰っていないと聞いていた。直筆を見て、急に身近に感じられ、内容をもっと理解したいと思うようになった」と大森さん。概要は何となく分かったが、「茲(ここ)」などの表現や崩し字、都市名などの固有名詞が壁になった。日露戦争時の兵士の手紙を解読した熊本市の高校生の活動を紹介した本紙記事を友人に教えられ、本社に連絡するなど外部に協力を求めた。

 解読を手伝ってくれたのは、足利市の元市文化財専門委員長の市橋一郎さん(79)と市織姫公民館館長の高橋伴幸さん(48)。耕作さんが所属した陸軍第41師団238連隊の行動記録や中国、朝鮮の地図などを参考にしながら現代表記に置き換えた。さらに耕作さんの移動経路をたどった地図、部隊名や地名などについて分かりやすい注釈まで付けてくれた。

 手紙を読み終えた大森さんは「自らの死を意識しながら、両親や兄の家族を思いやる手紙でした。82年前の叔父の心が今届いたような心境になりました」と話した。

市橋さんらによる読み下し文の一部 拡大
市橋さんらによる読み下し文の一部
市橋さんらによる読み下し文 拡大
市橋さんらによる読み下し文

 41師団はニューギニアに渡り、1943年暮れから44年にかけ、食糧不足の中、転戦を続け、人減らし作戦といわれた「アイタペの戦い」に突入し、多くが戦死した。耕作さんの最期を知る人はいないが、師団が作戦参加のためウエワクを出発した44年6月10日付で戦死が認定された。21歳の誕生日の2日後だった。

 大森さんは「手紙を受け取った時の祖父母、父たちの心境を思うと胸がつまる。まだ二十歳だった青年がこんな手紙を書けることに驚く一方、書かなければならなかった心情を思うと悲しく、つらい。叔父の墓前で改めて気持ちを伝えたい」と話し、「協力いただいた皆さんのおかげです」と感謝した。

 協力した高橋さんは「戦争の時代の青年の心情が率直につづられ、家族への思いを感じた。師団や連隊単位ではなく、内務班など小さな部隊単位での活動経過が分かり、史料としても興味深く感じた」と話している。【太田穣】

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