80回目の終戦記念日となった15日、全国戦没者追悼式の会場となった日本武道館(東京都千代田区)には全国から遺族らが集い、戦没者に黙とうをささげた。
埼玉県川越市の江田肇さん(82)は2歳の時、父の富治さんを戦争で亡くした経験を踏まえ、遺族代表として平和への思いを込めて追悼の辞を述べる。
富治さんは1937年に召集された後に一度除隊。戦争末期の45年3月に再び召集され、朝鮮半島で飛行場整備などに従事していたという。終戦直後に部隊を離れて引き揚げ船に飛び乗ったが、朝鮮海峡で船が機雷に触れた際に戦死した。
江田さんは「当時の記憶はあまりない」というが、亡くなった母によれば、出征する富治さんに手を振っていたという。大黒柱を失ったことで家族の人生は翻弄(ほんろう)された。
当時、江田さんの妹を妊娠中だった母は子育てと家業の農業を両立するため、苦労が絶えなかった。農作業を手伝う人手の確保や資金の調達に奔走し「男手がいればな」とつぶやくこともあった。
学業が優秀だった江田さんは、中学の担任が母親に頼み込んだお陰で地元の進学校に進んだ。大学を出て政治の道への憧れもあったが、家庭の事情から進学を断念。農業を継ぎ、一度は夢を諦めた。
それでも52歳で市議となり、6期務めた。「しんどい出来事はたくさんあったのに口に出すことはない。我慢強い人」と長男の崇さんは語る。
他方で高校時代から60年以上遺族会の活動に携わり、今は県遺族連合会会長を務める。終戦から80年がたち、「戦争体験を直接見聞きする人が少なくなり、会員も減少している」と時の重みを感じる。孫世代が対象となる青年部を結成したが「実際に活動するのは1、2割と少ない」と記憶の継承が難しくなっていることに危機感を覚える。
ロシア軍によるウクライナ侵攻が続くなど世界では戦火がやまない。「あんな惨事はもう起こしてはならない。平和の尊さを改めて認識してもらいたい」と強く願っている。【阿部絢美】
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