
終戦から80年目の夏。当時を知る人は減り、戦争の記憶が徐々に失われつつある中、四国の戦争にまつわる場所を記者が歩き、ゆかりの人たちを訪ねた。
「日本海軍最後の切り札」紫電改
「ニッコリ笑へば必ず墜(おと)す」。紫色のマフラーには、そんな言葉が刺しゅうされている。太平洋戦争末期、出撃時に巻くマフラーに搭乗員の好きな言葉を刺しゅうすることになり、松山市の済美高等女学校(現済美高校)の生徒が武運を祈って縫った。愛媛県愛南町の紫電改展示館で戦闘機と共に展示され、80年前の歴史を伝える。
戦闘機は、松山に駐屯した「第343海軍航空隊」(343空。通称・剣(つるぎ)部隊)に属したとみられる「紫電改(しでんかい)」。戦争末期、旧日本海軍が零戦の後継として開発した主力戦闘機で、国内で唯一の現存機だ。マフラーは元隊員の笠井智一さん(2021年に94歳で死去)が07年に寄贈した。
紫電改は当時、「日本海軍最後の切り札」とも呼ばれた。笠井さんの長女の多田秀子さん(69)=兵庫県芦屋市=は、父が「紫電改はすごく優秀な飛行機だった」と話していたことを思い出す。笠井さん自身も自著の「最後の紫電改パイロット」で、「誉(ほまれ)エンジンをフルスロットルしたときの加速がすさまじい」と振り返っている。

343空は1944年12月、松山空港の前身の松山海軍航空基地で開隊された。戦闘機パイロットを経て、海軍の作戦立案に当たる軍令部の航空参謀を務めた源田実大佐(1904~89)が発案し、自らトップの司令に就いた。日本の敗色が濃厚で「本土決戦」も現実味を帯びる中、海軍精鋭のエースパイロットを集め、最新鋭の紫電改を駆使し、日本本土周辺の制空権を回復するのが目的だった。
343空の「初陣」は45年3月19日、松山市の上空。隊員の手記などを記録する「三四三空隊誌」によると、同日早朝、偵察隊が高知・室戸岬沖に米海軍の機動部隊を発見と報告し、343空の搭乗員に「全機発進」が命ぜられた。海軍基地があった呉(広島県)方面への攻撃に向かう約350機の空母艦載機を54機の紫電改が松山上空で迎撃し、57機を撃墜。8月15日の終戦まで5カ月を切る中、日本軍にとって「最後」の大戦果となった。
当時18歳の笠井さんは、343空に開隊当初から所属した。自著によると、紫のマフラーはもともと、笠井さんら隊員たちの行きつけだった松山市内の食堂のおかみ、今井琴子さん(96年に71歳で死去)が、結婚の際に持参した白無垢の布で作製。刺しゅうは今井さんが済美高等女学校へ頼みに行った。紫電改の「紫」にちなんでマフラーは紫色に染められ、笠井さんは終戦まで首に巻いて戦った。

マフラーに守られた命の一方、出撃後に「未帰還」となる隊員も多かった。その一人が、笠井さんの海軍飛行予科練習生(予科練)の同期で、フィリピンなどで戦線も共にしてきた日光安治・上等飛行兵曹(上飛曹)だ。
「三四三空隊誌」は、45年3月19日の初陣の際、日光上飛曹らの搭乗機が見せた活躍ぶりを「勇戦は物凄く、地上の喝采を博した」と伝える。笠井さんも自著で「敵機を逐次血祭りにあげて区隊撃墜賞に輝く活躍をみせ」たと記したが、日光上飛曹の機は基地に戻らなかった。笠井さんは戦後、日光上飛曹の婚約者と文通などで長年交流を続けたという。
戦後80年を経た今、世界で現存する紫電改は4機のみで、国内では愛南町で展示される1機だけとなった。343空に属したとみられる機体は戦後34年間、同町沖の海底で眠るように時を過ごした。
機体は78年11月、久良湾内の水深41メートル地点に沈んでいるのを地元ダイバーが発見した。翌年引き揚げられ、フジツボに覆われて破損箇所はあったが、ほぼ原型をとどめていた。45年7月24日に豊後水道上空で米軍機と交戦し、未帰還となった紫電改6機のうちの1機の可能性が高いとされるが、搭乗者や遺留品は見つからなかった。
かつて海軍航空基地だった松山空港の近くに、紫電改などの軍用機を敵の攻撃から守るために築かれた「掩体壕(えんたいごう)」が残っている。2018年に松山市の有形文化財に指定され、戦争の歴史を伝える。
今年7月、現地でボランティアガイドを務める向井かおりさん(66)、三村由美子さん(53)と共に現地へ向かうと、松山空港を発着する飛行機のジェット音が聞こえた。三村さんは、見学へ来る子どもたちにこう語りかけると教えてくれた。
「飛行機の音を聞いても、今は恐怖を感じて逃げたりすることはないよね? でも80年前までは、飛行機の音が怖いと思って逃げている人たちがいたの。そういう時代には、戻ってはいけないよね」
取材で何度か訪れた愛南町の紫電改展示館では、扉を開くと暗緑色(あんりょくしょく)の機体が目に飛び込んでくる。4枚のプロペラは、海に不時着した際の抵抗で折れ曲がったまま。周囲には343空の隊員たちの遺影が並べられ、そっと機体を見守っている。その横で目を閉じると、80年前の「空」が眼前によみがえってくるようだった。
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