旧満州で集団自決の犠牲者ら悼む 石破首相も追悼文 兵庫・豊岡

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黙とうをささげる「高橋村満州開拓団殉難者追悼・平和祈念の集い」の参列者=兵庫県豊岡市但東町で2025年8月17日午後2時7分、浜本年弘撮影
黙とうをささげる「高橋村満州開拓団殉難者追悼・平和祈念の集い」の参列者=兵庫県豊岡市但東町で2025年8月17日午後2時7分、浜本年弘撮影

 アジア・太平洋戦争の末期、現在の兵庫県豊岡市から旧満州(現中国東北部)へ、100世帯余り約500人が国策による満蒙開拓団として送り出され、集団入水(じゅすい)自決などで346人が亡くなった。17日にあった追悼の集いでは犠牲者一人一人が読み上げられ、参列者は、名前、続き柄、年齢が語る「家族」の殉難を悼んだ。

 開拓団「大兵庫開拓団」は、旧出石郡高橋村(現豊岡市但東町)から農業移民として、1944年から中国ハルビンの北約80キロの北安村(現黒竜江省隆安村)へ多くは世帯単位で順次移住し、45年5月まで続いた。

 しかし、わずか3カ月後の8月に旧ソ連軍の侵攻、日本の敗戦に直面。男性の多くが召集され不在だった中、残された母親や幼い子ども、お年寄りは逃避行の末に17日、追い詰められて入水し、298人が亡くなった。

 集いは高橋村満州開拓団遺族会と開拓団の歴史を語り継ぐ会が主催し、同市但東町内であった。会場正面には、近くにある犠牲者を悼む「殉難者之碑」の拓本が掲げられ、参列者約100人が黙とう。移住した家族7人の中で1人生き延びた元団員、山下幸雄さん(92)が、亡くなった団員の名前などを世帯ごとに読み上げた。

犠牲者346人の名前、続き柄、年齢を読み上げる元開拓団員の山下幸雄さん=兵庫県豊岡市但東町で2025年8月17日午後2時10分、浜本年弘撮影
犠牲者346人の名前、続き柄、年齢を読み上げる元開拓団員の山下幸雄さん=兵庫県豊岡市但東町で2025年8月17日午後2時10分、浜本年弘撮影

 「妻30歳、母63歳、長男9歳、次男5歳、三男1歳」「妻36歳、父69歳、長女17歳、次女15歳、長男13歳、三女9歳、次男5歳、四女2歳」――。収容所などでの病死も含む死者のうち、入水自決では10歳以下が90人を超えた。

 語り継ぐ会長の奥田清喜・元但東町長(84)の追悼のことばなどに続き、地元の市立合橋小学校の児童5人も「生きたくても生きられなかった方々の思いを胸に、何が自分にできるかを考え行動します」と誓い、参列者も手を合わせた。

 参列した谷公一衆院議員(兵庫5区)の依頼を快諾したという石破茂首相からの追悼文も読み上げられ、「教訓を学ぶ」とした。

 集団自決から生還した元団員の岡村喜久枝さん(90)と木村龍輔さん(82)も参列。式典終了後、岡村さんは「8月14日から歩き通しだった。忘れられない」と飲まず食わずだった逃避行を語った。

 初めて参列した大学4年、宮垣ひかりさん(21)=京都市=は、祖母の父親が元団員だった。妻子と妹を集団自決で失った。「今まで歴史上の出来事のように受け止めていたけれど、子どもや女性が多く、お一人お一人に命があって家族があったと実感した。どんな思いで自決したのか、考えると目頭が熱くなった」。戦後80年に触れ「体験者が減っているので自分のルーツを受け止め、戦争を起こさないため、自分の思いを若い世代へつないでいくことが私にできることだと思った」と話した。

【浜本年弘】

石破首相の言葉

 満州開拓団の一員として満州に渡り、再び祖国の地を踏むことのできなかった多くの方々の御霊(みたま)の安らかなることをお祈りします。

 私たちは国策に散った満州開拓団の歴史を通じて、今日と未来の平和に向けての教訓を学んでいかなくてはなりません。

 そのことが悲劇的な犠牲者となられた多くの方々に対する慰霊、鎮魂であると思います。

 このたびの殉難者追悼・平和祈念の集い開催にあたり、関係者各位のご尽力に心から敬意を表します。

 令和七年八月一七日

  内閣総理大臣 石破 茂

※原文のまま

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