毎日新聞は2024年夏以降、過酷な戦場の現実や加害行為により心的外傷後ストレス障害(PTSD)といった「戦争トラウマ」に苦しんだ旧日本兵やその家族に関する記事を掲載した。近年、元兵士の子ども世代による市民グループの証言活動や報道によって、自らの父もトラウマを抱えていたのではないかと気付く人は増えつつある。戦後80年を迎えた今夏、記事を読み、寄せられた声などから埋もれた戦争の負の記憶をたどる。
終戦後、げっそりと痩せ帰国した父
「記事を拝見し、父と重なった。ずっと一人で苦しい心と戦っていたことが哀れでならない」
4月に記者宛てに届いた手紙の差出人は、宮崎県延岡市の吉田節子さん(89)だ。父の堤秀七さんが徴兵されたのは、日中戦争が激化し、国家総動員法が施行された1938年ごろだった。父は3度目の徴兵で、旧満州(現中国東北部)に送られた。
当時2歳で記憶は断片的だが、母に連れられ父の出征を見送った。「節子が恥ずかしがっている」と笑った父の顔を覚えている。
父は終戦後、シベリアに抑留され48年ごろに帰国した。頰はこけ、げっそりと痩せていた。終戦から時間もたち、父が帰ってくるとは想像もしていなかった。
吉田さんは弟と高知県の親戚に預けられていたが、父の出身地の滋賀県に引っ越し、再び家族4人での暮らしが始まった。
畑仕事の傍ら、公共施設で用務員としても働いた父は勤勉な人だった。通勤に使う自転車は常にピカピカに磨き上げられ、家族の誰よりも早く自宅を出た。
酒を飲み語り出した「加害行為」
でも父は仕事から帰ると、毎晩のように酒をあおった。ドラム缶に入ったどぶろくをすり鉢に注いでは何杯も飲んだ。
食卓に酒が用意されていないと…
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