
戦後80年、少子化と人口減少が急速に進んでいる。政府は30年以上、対策を図ってきたが、めぼしい成果は上がっていない。出生率の低下を食い止め、人口減少を抑えるためにどんな手立てが必要なのか。縄文期以降の人口変動を研究してきた歴史人口学者の鬼頭宏さんに尋ねた。
縄文時代からあった「人口変動」
――深刻な人口減少が進んでいます。
世界の人口は波動的に増減を繰り返してきました。日本列島では過去に3回、人口の変動期があり、現在は4回目にあたります。
縄文、弥生~鎌倉、室町~江戸、明治~令和にかけてです。
共通するのは、新しい資源が見いだされ、新技術の活用が進み、場合によっては制度の変更も重なり、政治、経済、社会など暮らしを支える文明の形が大きく変わってきたことです。
こうした要素が絡み、文明が転換すると、人口が増えます。
しかし、新技術が普及し尽くすと、資源や環境に制約が出てきて、死亡率の上昇と出生率の低下が起き、人口が減ります。
人口の停滞・減少期は文明の転換が始まる時期に重なります。
――専門である江戸時代を例に詳しく説明してください。
江戸時代は主食である米の生産量が限界を迎え、人口も増やせなくなったと考えられます。
17世紀には新田開発、農具や肥料の改良、普及が進んで、食料生産が強化され、人口は増加しました。
18世紀初頭に頭打ちとなり、その後はやや減少しました。農村部では出生率が低下して「少子化」が起きました。
新田開発が限界にきた影響が大きいです。
寒冷化が進み、冷害による凶作や飢饉(ききん)が頻発し、環境面からの打撃も大きかったのです。
「人口の過剰」を自ら意識した
――現代の人口変動期は過去とどう違うのでしょう。
過去3回と比べ、環境が及ぼす影響は異なると思います。これまで人間社会は受け身の立場にいました。
採集生活だった縄文時代は木の実がならないと、生きることが難しくなりました。
農業社会に移ってからも環境が人口を制約する面が強く、耕地など資源の制約も重なり、気候変動に弱い社会でした。
ところが、現代は地球温暖化が起きたから人口が減っているわけではありません。
それよりも、人類が先に人口が過剰ではないかと意識するようになったのです。
同時に人間が環境を変動させている面が強く意識されています。人間が経済活動を行って人口を増やし、エネルギー資源を消費し、排出される温室効果ガスが温暖化を引き起こしています。
ただし、巨大なハリケーンや台風が起きたとしても、それをコントロールできません。
環境変動を完全に乗り越えるのは困難で、強い制約となっているのは事実です。
公開された地球の写真が
――現在の日本の少子化はいつごろから、どういう経緯で始まったのでしょうか?
人口爆発への危機感が高まったのがきっかけです。1972年にさまざまな動きがありました。
アポロ17号の乗組員が撮影した地球の写真「ブルーマーブル」が公開され、地球は小さい存在だと意識づけ、環境保護を訴える象徴となりました。
国際的な研究・提言機関ローマクラブの報告書「成長の限界」は爆発的な人口増加や経済成長が続けば、地球は限界に達すると警告し、ノーベル物理学賞受賞者のデニス・ガボールは「成熟社会」で量的な拡大を抑え、質の向上を目指すべきだと提言しました。
翌年に第4次中東戦争によって石油価格が高騰し「第1次オイルショック」が起きると、危機意識が強まりました。
さらに74年には、当時の厚相の諮問機関「人口問題審議会」は人口白書で、出生率を低下させ、人口が増えも減りもしない「静止人口」状態を目指すと打ち出したのです。
国連もこの年、「世界人口会議」を開いて、人口爆発を抑制しようとしました。
当初は意図して始まった「少子化」
――当初、政府は少子化を意図したということですね。
政府だけではなく、この年に民間団体の主催で開かれた「日本人口会議」は静止人口を達成するため、「子どもは2人まで」という国民的合意を得るよう努力すると宣言しました。
世論も後押ししたのです。
静止人口の方針は大きな転換点になりました。国民に浸透し、非常に強い作用を持っていたと考えられます。
今も続く少子化の根本には、この方針や背景にある食料・資源・地球環境をめぐる危機感が強く影響していると思います。
このあたりをピークに日本など先進諸国の出生率は落ち込んでいきました。当初、出生率の低下は意図したものだったのです。
結婚、出産増促す 豊かで快適な社会
――方針を転換するタイミングが遅かったと。
89年には、「ひのえうま」の俗信によって出生が激減した66年を下回り、出生率が1・57まで落ち込み、大騒ぎになりました。この頃まで政府の問題意識は低く、方針転換が遅れたと思います。
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